引く手あまたな母に捨てられた反動で父が実の娘である十五歳で高校一年生の私を犯した罪と身代わり
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私は、十六歳の時まで父親と二人きりで暮らしていました。
私は母の顔も知らずに育ちましたが、私が母のことを尋ねても、父は死んだとしか言ってはくれませんでしたから、何となく父の言っていることに違和感を感じはしましたけど、それ以上は追求も出来ず信じるしかなかった。
それで、十四の時に祖父母の家に遊びに行った時に祖母を問い詰めて、初めて真相を知りました。
初めて、母は私が三つの時に男と駆け落ちしたと聞かされました。
祖父が感慨深げに私に話してくれたことによれば、母はモデルの仕事をしていたくらい人目を引く美人(親子だから私は母によく似ているそうですが)だったが、家庭的でな女性ではなく、遊び好きで浪費癖がひどく幼い子供であった私を放っておいて繁華街で遊び歩くような女性だった。
もともと祖父母も父とつき合っている当時から、そんな母の性格を見抜いていたから結婚には反対していたが、母に惚れぬいていた父は聞く耳を持たなかった。
そして結局、母は私を妊娠してしまい祖父母も結婚を許しざろう得なかったそうです。
そして、なし崩し的に始まった父との結婚生活は、祖父母の心配した通りの展開になった。
私を産んでからも母の素行は少しも改まらず。
特に決定的だったのは、夜中に酔って戻った母が衣服の下に下着も着けずに戻ってきたことだった。
これには父もたまりかねて追及すると、あっさり母は私と父を捨て家を出て男のもとへ行ったそうです。
父もこの母の裏切りにはかなりこたえてしまった様子で、一時期、心療科に通いつめるくらい精神的に追いつめられた時期もあったそうです。
それでも幼子の私を放っておくことも出来ず。遮二無二働き、私を育ててくれたそうです。
確かに父は貧相と言うほどではないが美男子ではなく、どこにでもいるような中年男性でしたが、母のことで女性に懲りたのか再婚もすることなく男手一つで私を育ててくれた。
良い父だったでしょう。ただ一つ、実の娘である私を犯した罪を別としたら。
アレは私が十五歳の時でした。当時、私は高校一年生。
父娘家庭だったから家のことは必然的に私がするようになり、小学生中学年の頃には、料理洗濯と家事のことはだいたい私がやっていた。
そんな状況だから、私は友人と遊び歩くような経験は一度もなかった。
特にそんなことは父が絶対に許してはくれず。
一言でもやりたいと言ったり、門限よりわずかな時間でも遅く帰宅するようなことがあれば容赦なく私を殴り飛ばした。
しかし、あの私が遊び歩くことへの厳格なまでの厳しさは、いまにして思えば娘への教育の熱心さよりも母に捨てられた反動だったのでしょう。
母が遊び歩くことを止められなかったから、自分は捨てられたのだと父が思っていたとすれば、私が遊び歩くようになることで娘にまで捨てられることを恐れていたとしたら、あの厳しさもよく理解できます。
事実、父は捨てられながらも、母を愛していた節もあった。
私を犯した時も父は母の名前を繰り返し呟いていました。
私が高校生になりテニスクラブに入ると練習で帰宅時間も遅くなるようになった。
特にあの日は七月で日が長くなっていたこともあり、練習をしているうちに時間を忘れ帰宅する頃にはあたりはすっかり暗くなっていた。もちろん門限も遅れている。
私は父に叱られるものと恐る恐る帰宅すると、父は居間で一人でぼんやりと過ごしていた。
居間に一人でいた父は心はここにあらずといった様子で、話かけてもまともな返事が返ってこないような状況だった。
私はともかく食事を作ろうとキッチンで簡単な料理を作り、居間にもって行きました。
「お父さん、ごはん出来たよ」
「ああ。」
父はそう言って食事を食べた。
食事中に話し掛けても何の返事もなく、私もおかしいとは思っていたが、ともかく家事に勉強にと忙しい身の上だったから、父にばかりかまってはいられないと追求することもなく食事を終え、洗い物を済ませて風呂に入った。
風呂から出たら、父は一人でビールを飲んでいた。
テーブルの上には、何本も空になったビール缶が転がっている。
このことには、私は正直言って驚きました。
父が自宅で一人、酒を飲むなんて見たことなかったからです。
食後のいっぱいとビールを飲むことは以前からあったが、いま見ているように何杯も酔いつぶれるほどに飲みつづけるのを見たのは初めてです。
「お父さん、どうしたのよ」
私もさすがに驚いて父に言いました。
「どうしただと、ほっとけ」
父は乱暴に言い捨てた。
私もどうすることも出来ず。
ともかく、これだけは片付けようとビール缶をビニール袋に入れました。
「明嘉、」
父は、ふいに誰かの名前を言った。
「何なのよ、お父さん。」
明嘉は母の名前だ。
一年ほど前に、祖母に母のことを問い詰めて初めて知った名前だが間違いない。
父は立ち上がると、私の腕を取った。
「何だ。ようやく帰って来たのか。」
そう言って、父は私を引きずるように抱きしめた。
「ちょっとお父さん、しっかりして、私はお母さんでは、明嘉ではないよ。水月よ。正気に戻って」
私は体を捩って何とか父の手を振り払おうとしました。
このときの私の姿は、風呂上りだったから身に付けているものは下は短パンで上は青のTシャツに過ぎず、それもノーブラでした。
そんな姿で、実の父親と言っても男に抱き寄せられたのです。
性経験の無い私にはかなり衝撃的でした。
「やめてよ」
抱きよしているうちに私は床に押し倒され、父の様子が普通でないことを理解するしかなかった。
「俺に抱かれるのがそんなに嫌か。」
そう言って、父は私のシャツを力任せに引き剥がした。
「いや。」
私は思わず悲鳴を上げると、父は私を平手で殴り飛ばした。
ビシャ頬が高い音を立てると、私の口の中に鉄くさい味が広がる。これは自分の血の味だ。
父の容赦ない一撃が、私の口の中を傷つけたと理解した。
当時伸ばしていた髪は私の自慢だったが、父はそれをわしづかみにした。
「おとなしくしろ!」
そう怒鳴りつけられると、私はもう声もあげることは出来なかった。
娘である私は、当然のように父に叱られると口答えも出来なくなる。そんな育てられ方をしたからだ。
こんな状況であっても、それは代わりなかった。
特に父はまだ四十にもなっていない。
体力的にも女である私よりよっぽどある。
私はシャツを引き剥がされトップレスにされ、思春期を迎えて以来、異性には一度も見せたことの無い乳房を父の眼前で晒すことになった。
父は私の胸に顔をうずめながら、今度は下の短パンも下ろしていった。
「やめて、やめてよ」
私は恥ずかしいのと恐ろしいので、出来ることは涙声で抗議するしかなかった。
短パンを膝まで下ろすと、一旦身を起こした父は私のパンティにも手を掛けた。
パンティはシャツと同様に一気にむしろ取られる。
その時は、私はシルクで出来た青地のパンティをしていたと思う。
あのパンティはお気に入りだったから憶えています。
剥ぎ取られたパンティを父は無造作に投げ捨てた。
短パンも、足から引っこ抜かれると、とうとう私は一糸纏わぬ姿にされた。
「いやだ。」
いまの状況が信じられずに、私は両手で顔を隠す。
そんな私にも父は容赦なんてしなかった。
股を開くと私の陰部に口付けを始めたのです。
「何だ。おしっこの臭いがするぞ」
父がそんなことを言って嘲笑った。
そういえば、お風呂に入った後で尿意を感じておしっこした後だった。
もちろん拭いたが、やはり尿の臭いを完全に消すことは出来なかったようだ。
「お父さん、やめてよ」
私はもう嗚咽をもらしながら泣いていた。
相手が父親であっても、陰部を晒すことへの恥ずかしさから逃れることが出来るはずがない。
それでも私は体を捩ったり足を動かして父から逃れようとしましたが、父に押さえつけ殴り飛ばされる。
そんなことを何度か繰り返されると、とうとう私は抵抗する気力も失ってしまった。
さらに、父は私の膝を肩で担ぐ。
股を開いた姿勢で足を担がれると、必然的に私はヴァギナどころかアナルまで晒すことになった。
「可愛い肛門だな。小さくてキュッとしている。」
そう言って肛門まで玩ばれ始めると、私はもはや声を出すことも出来なかった。
「ああ・・・。もうやめて」
私はそれだけ呟くのが精一杯だった。
父は肛門のひだを丁寧に舐め上げ、さらに強引に舌を入れる。
そんなことを何度も繰り返してから、肛門に一気に指を突っ込まれた。
その時には「ヒィー」と悲鳴ではなく、掠れた声を上げるのが精一杯だった。
さらに、父は私のヴァギナを再び玩ぶ。
まだ。一度として男を知らなかった私の体は父によって責めつづけられた。
自慰行為さえ知らなかった十五の初心な生娘には性感などあるはずがない。
父の愛撫を受けても、何の快楽はない。
ただただ恥辱だったが、私には黙って耐えるしか方法がなかった。
そして父は体を離した時、恐る恐る父の様子を見ると、父は私が期待したように正気に戻ったわけではなく、私が想像する限り最悪の事態に移ろうとしていた。
それは、彼はズボンを膝まで降ろしたからだ。
父の股間には幼い頃、何度となく一緒にお風呂に入った時に目撃した男性器が、異様なまでに怒張し存在を故事している。
私はもう目をぎょっと瞑り、最後の時を覚悟するしかなかった。
そして、それはすぐに来た。
私の股間は再び限界まで開かされると、硬い男性器の先端が押し付けられた。
それでも私は抵抗することなく、この悪夢が終ることを祈りながらじっとするしかなかった。
こうして私の処女膜は、あっけなく父に破られた。
「痛い」
私は声を上げる。
父に舐めまわされているうちに、私のヴァギナは愛液を分泌して男性を受け入れ易くはなっていたはずだが、それでも一度として膣にモノを入れたことが無い処女には、男のペニスは大きすぎた。
物凄い痛みと一緒に出血した。
翌日、確認するとけっこうな量が床のカーペットにこびりついていた。
父のペニスは体を引き裂くように入るとすぐに輸送が始まる。
「やだ。もっとゆっくり」
私の抗議を無視して、父は激しく私の股間に自分を打ち付けてきた。
もうこうなると私も無我夢中で父を抱きしめながら、じっと処女喪失の時を過ごしていくだけだった。
パンパンと激しく、そして時々緩く父はペニスを動かした。
ヴァギナは、相変わらず引き裂かれた処女膜をペニスで擦りあげることで生じる痛みが続いていたが、それでもひたすら父を抱きしめる私。
その時に、ふいにデジャヴューがあった。
(こんなことが前にあったな)
そう思うと、すぐに思い出した。
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