三十路の継母とJKの姉が突然出来てしまい性の対象が家庭内にいる状態になった性春真っ盛りの僕
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僕が小学2年の時に母親が亡くなったのだが、中学3年の時に父親が再婚していきなり30才後半の継母ができてしまった。
継母もバツイチで、父とは再婚で17才の紗江という高校生の娘がいたので、両方とも子連れの再婚だった。
今まで父親と二人で暮らしていた生活が、いきなり継母の淑子・娘の紗江の二人が加わり、四人での生活が始まってしまったのだ。
今まで父親と男だけの生活だったのが、継母と娘の二人の女が家にいるのでどうも落ち着かない日々が続いた。
いくら戸籍上は親、姉となってはいるものの中学3年の性春真っ盛りの僕にとっては性の対象でしかなかった。
夜な夜な親の部屋から淑子の喘ぎ声が聞こえ、それを聞きながらひたすらオナニーしたり、紗江の裸を想像してはオナニーをしていた。
僕が高校に上がってすぐに、父親が病で倒れてしまった。
淑子は父親の看病で家をあけることが多くなり、学校から帰って来ても紗江と二人で過ごす日が多くなった。
ある日、僕はテスト休みで家にいたのだが、紗江は大学に行って家にいなかったときに親の寝室から呻き声が聞こえた。
なんだろうと思い、ドアを少し開けて見ると、淑子が昼間からベッドに全裸で横たわりオナ二ーをしていたのだった。
僕は淑子の喘ぎ声に合わせて、勃起してしまったペニスをしごいた。
きっと誰もいないと思っていたのか、淑子はすごい喘ぎ声を上げながら激しくアソコを弄っていた。
僕も知らず知らず吐息が漏れてしまっていたようで、淑子が急に扉の方を見て見つかってしまった。
淑子は慌てることもなく僕を手招きし、呼び寄せた。
近寄ると、ズボンから飛び出しているチンポをしごき始めた。
自分でするより何倍も気持ちよくてあっという間にイッてしまった。
淑子はまだ精子が溢れ出てきてるペニスを咥えてくれた。
そして丁寧に舐めてくれて、イッたばかりなのにペニスがまた勃起していた。
淑子は僕を優しくベッドに寝かせると、僕のペニスを握って跨ってきて合体した。
僕にとっては初めてアソコの感触は、温かくてヌルヌルしててこの上なく気持ちよかった。
淑子も気持ちよさそうに声を上げながら、僕の上で上下に動いていたが、僕はあまりの気持ちよさにそのまま淑子のアソコの中でイッてしました。
淑子は優しく微笑みながら「気持ちよかったでしょ?」と言うと、跨っていた僕の上から下りた。
中出しされたことなど気にもせず、僕のペニスを愛おしそうにしゃぶってキレイにしてくれると、自分だけバスルームに行ってしまった。
それから父が長期入院することになり、紗江のいないときは淑子とセックスするようになった。
AVを参考にして僕はすぐにセックスが上達し、淑子を先にイカせられるようになった。
高校2年でヤリたい盛りだった僕はイッてもすぐに回復し、何度も何度も淑子のアソコにペニスを突き立てた。
淑子が、だんだん僕とのセックスに溺れて行くのがわかった。
紗江がいないときは朝から晩までお互い裸で玄関、台所、リビング、寝室とどこでも淑子のアソコにペニスを突き立てた。
紗江は20才になると、ひとり暮らししたいと言って家を出て行った。
父は相変わらず入院中で、家には僕と淑子だけになったので、ある日クラスの仲にいい友だちを家に呼んで淑子に相手させた。
それもだんだんエスカレートし3P、4P、5Pは当たり前になり、授業が終わるとヤリたい盛りの童貞男子たちが僕の家に集合しては、毎日失神するまで何度も何度も淑子のアソコに代わる代わるペニスを突き立てた。
僕は淑子が友だちのペニスを咥えては、自分から股を開き勃起したペニスを受け入れて気持ちよさそうにイッてしまう淑子を見て嫉妬した。
そしてみんなが帰った後、僕は淑子を独り占めして何度も何度も抱いてイカせて、嫉妬の火を鎮めるのが日課になっていた。
淑子も僕の嫉妬心が継母として嬉しいと言って、いつでも俺のことを受け入れていた。
だが、僕と淑子のセックスに溺れた生活も父の死でピリオドが打たれたのだった。
その後、友だちがまた淑子としたいと言って来たが、淑子は父の死に少なからずショックを受けていたので、それっきりになった。
ただ、今でも僕だけは淑子とセックスし、お互いの体を貪るように求め合っている。
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