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学生時代から付き合って結婚した妻との性生活に生じたアブノーマルな変化

この記事の所要時間: 225

妻とは同級生で、学生時代から付き合って結婚した。

お互いが始めてで、18歳時に初体験。

以後、会うたびにセックスしていた。

付き合って5年後に結婚。

結婚後も性生活は盛んだったが、ノーマルなセックスだった。

 

一人目の子供が生まれてから、マンネリ解消のためにバイブを使ったり、アナルセックスも楽しんだ。

二人目の子供が生まれてからは、性生活の頻度は減っていった。

 

二人の子供が就職と進学の為に手から離れて、家には妻と二人っきりになった。

二人っきりになると性生活がまた少し増えたが、ノーマルなセックス。

ただ、ここから妻が変な方向に・・・

 

二人で並んでTVを見たりしていると、俺のチンポを触り出し遊びだす。

しまいにはズボンもパンツも脱がし、俺は下半身裸状態。そして触り、握ったりする。

 

当然、勃起してしまい妻を触ろうとするが拒否する。

許してもらえるのは服の上からオッパイを無んだり、乳首を摘んだりするくらい。

脱がそうとしたり、下半身を触ろうとすると拒否られる。

 

何時間もTVなどを観ながら俺のチンポを触り続け、たまに俺の膝枕で寝転びながらチンポや玉を舐める。

先から出てくる我慢汁を舐めながらTVを観たり、スマホでゲームをする。

その場でセックスをしないので、寝る前にするのかと思えば、勝手に寝てしまう。

 

そんなことを毎日続ける。

一、二週間に1回くらいはセックスをするが、ノーマルなセックス。

妻は感じやすく、すごく濡れるため、すぐにいってしまう。

俺がいくまでに自分は二、三回はいく。

 

ほぼ毎日、俺は帰宅すると下半身を裸にされて、寝るまで妻にチンポを触られたり、舐め続けられながら過ごす。

どうしてそんなことをするのかと聞くと、「パパのオチンチンが好きだから」と言う。

なんで、俺が触ったりセックスするのを拒むのか聞くと「疲れるから、次の日の仕事が辛くなるから」と言う。

 

そんな生活が1年続いてる。

365日、妻が俺のチンポを触ったり舐めたりするのを休んだことはない。

俺が射精するのは妻とセックスする時以外に、妻が「精子を飲みたいから出して」と言う時ぐらい。

年に数える程度だ。

 

だいたい、いつもは射精できるほど激しく触ったりフェラはしてくれない。

おかげで、我慢汁が沢山出るようになってしまった。

妻は我慢汁は好きらしく、常に舐め吸ってくれる。

我慢汁が出るほどに、俺が感じてくれてるんだなと思うから嬉しいらしい。

 

これからも俺は、毎日妻にチンポを触られ舐められる毎日を過ごして行くだろう。

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コメント

    • 名前: 名無しさん
    • 投稿日:2019/06/12(水) 23:04:40 ID:Q3MjY3NzI

     花嫁の嗜み 高度成長時代の花嫁
    高度成長の時代、1960年代、東京発熱海行きの列車に、別名「新婚列車」という愛称が付けられたほど新婚旅行客が多かったと言う。
    昭和34年、皇太子(現天皇陛下)のご成婚を記念して、東京~伊東間に新婚列車「準急ちよだ」が運転されたほか、1960年代後半から1970年代前半までのおよそ10年間は、全車A寝台の豪華新婚旅行専用列車「ことぶき」や「みやざき」が運転された。

    結婚式場の前を通ったら、手に手に大きな紙の袋を持った人たちがいました。
    花嫁たちはどんな初夜を迎えるのでしょう。たしかに、初夜に恥じらうような初々しい花嫁もどんどんどん減っていくでしょうね。

    でもやはり一生に一度の初夜には恥じらいが必要でしょうね。
    初夜にすることは古今東西みんな同じです。
    この桜が散り青葉に萌える4月から5月にかけてが、一年中でも、もっとも結婚式の多い時期ではないでしょうか。
    まだ若い独身者にとっては友達の結婚祝いばかりで、うんざりしている今日この頃のではないでしょうか。

    (しゅうげん)が終われば二人は晴れて夫婦、「初夜新婚の性生活」‥そこに書いてある性の営みが現実の物となる。
    その始めての夜‥男は、匂い立つ初めての、もうすぐ自分のモノになる初々しい女体を前にして、積年の鬱積した欲望が具体的な行為になってハチ切れるでしょう。
    花嫁の嗜みとは言え、総べてを捧げる覚悟とは言え、たとえ深窓のお嬢様でも、先刻まで他人だった男に体を抱かれるのです。その心情は如何ばかりかと察せられます。
    まず花嫁は、初夜の床で男に丸裸に着ているものを剥ぎ取られる。
    当時、床屋の待合室には婦人雑誌が置いてあって、これから結婚し新婚旅行に向かう若い生娘たちの相談欄が、新婚旅行では夫と一緒にふろに入らなければいけないのですか?、と。
    そんな生娘にも床入りといって一緒に初夜の床にはいる、そこで体を交える・・男の股倉には‥花嫁が始めて見る、異様なマラと呼ぶ肉塊がそそり勃っている。
    男は構わず‥マラを花嫁の腹に突っ張らせながら、顔を寄せ唇を合わせてイキナリ、口に、生々しい薄ら温かい舌を割り込ませて来る。舌が吸い込まれ、しゃぶられる。
    その間‥男の指がオマンコの辺りを触り回り、毛叢を分けて硬く勃ったオマメをイジクッて転がし、下の穴にも指を挿れ掻き回して来る。花嫁は気が動顚し、為す術も無い。

    その内に、何やら気持ちがイイなと思うと、恥ずかしいことにオマンコから、何かがズルッと垂れ流れる。すると男がグイと上に乗って来るので、イヨイヨだな‥と思う。
    男が四つん這いに上に乗り、胸を合わせて抱かれると、オマンコにマラの頭が宛行われて、とうとう‥これまで大事に隠し続けて来たオマンコに、男のマラを受け入れである。
    ところが‥初めてのときには、それが中々ウマク這入ら無いものなのだ。すると男は、花嫁の両脚を持ち上げ、赤ん坊がオシメを取替えられるみたいに、大きく押し拡げる。
    両脚はバンザイどころか、仰向きの大股開きの浅ましい姿になり、オマンコの土手が剥き出しに露わになる。ソコに男が自分の口から唾を取り、タップリと塗り付ける。
    男は指で唾を塗り拡げ、指をオマンコに挿れて出し挿れしながらオマンコの穴を大きくし、良しと見ると中腰になりマラを突き立てる。ブスッ!と音がして、処女膜が破られる。
    マラの雁首がオマンコに咬み込むと、力を篭めてマラが押し込まれる。マラがオマンコに元まで‥ピッタリ嵌め込まれて一つにくっ付くと、少し休んで奇妙な動きが始まる。
    男は何やら気の済むまで腰を揺すると、花嫁に足を伸ばさせ、オマンコでマラを絞め付けさせて、自分は更にその外側に膝を付き、四つん這いになり自分も膝を伸ばす。
    そこで少し休むと、そのままマラを出し挿れ‥つまりピストン運動が始まる。オマンコがマラを絞め付けたまま出し挿れするのだから、始めはオマンコが痛くて仕方が無い。
    だが妙なことに、抽送‥ピストン運動が続く内に少しずつ痛みが少なくなり、オマンコがナニやら薄ら痒いような気持ちがして、花嫁はいつしか男にしがみ付いてしまう。
    やがて男は抽送を激しくするが、オマンコの痛みは減りオマンコの中がズルズルになってくる。その内に男は「アウッ!」と仰向き口を開け、白目を剥いて上体を反らし固まる。
    花嫁は体の奥がカァッと熱くなり、アァ今‥男が精液を出した!‥と分かる。嬉しいと同時に‥処女膜は破られ子宮に子種を仕込まれて、これで娘時代は終ったな‥と思う。
    やがて男は勝手にグッタリして、花嫁の上に倒れ込む。これでヤット初夜が終ったとホッとすると‥さにあらず。男の二十数年の女の体への妄想は、まだまだ燃え続ける。
    花嫁が最初の媾合からマラを抜かれ、自分の血だらけのオマンコを拭いていると、男は「もう‥分かったろう‥」と抱いて来て、もう一度、その行為を繰り返して強いられる。
    場合によって花嫁は、その晩‥否応無く三回ぐらいは男と媾合させられる。今まで一人で寝ていた花嫁も、普通なら裸で男と抱き合って眠れる訳も無いがこの夜は別である。
    三回も媾合し‥場合によって初めてイクことを覚えた後では、それまで無垢で清らかな花嫁も、大概その夜はその夜は男と裸で抱き合って、朝まで泥のように、眠り込む。
    朝‥目覚めれば、花嫁はナント、裸の男と娼婦のように抱き合っていることに気付く。もう‥気取ってもダメだと思う。男が、他人とは違う存在になる。夫婦に、なったのである。
    抱き合ったまま‥男も目覚める。花嫁は、腹に男のマラが硬く突っ張っているのを感じ、顔が赤くなる。それに気付いた男が、「これは朝勃ちと言う 生理現象だよ」と教える。
    教えている内に、男はまたムラムラとオマンコをヤリたくなる。花嫁にマラの扱き方を教え、それをオマンコに嵌めるときに、フト‥この花嫁に騎乗位を教えようと思い付く。
    花嫁は 口で言っても上に鳴ろうとし無いので、正常位に組み様子を見て、花嫁に抱き付いてヒックリ返す。否応無しに上になった花嫁は、そこで腰使いを実感し嵌まる。
    朝日の射す中で、全裸の二人はイキを合わせて腰を使い、初めて一緒にイクことが出来る。もう‥紛れも無い夫婦である。二人はこれからも、ズッと触れ合っていたいと思う。
    まぁ‥こんなことが一般的な「初夜」と言うもので、花嫁になれば‥みんなこうして妻になって行ったんですね。
    若くして‥自分と一生一体になれる、触れ合って離れたく無い可愛い花嫁に会え、新居を持てた男は倖せですね。
    男と女は、このように合うものであり、合わさねばなら無いのだ。(引用終)
    つまりこれは 当時の性のガイド雑誌が、伏字と抽象的な描写で役に立たない と言うモドカシサから、「無知の花嫁が 一般に一夜で経験する衝撃」を 代弁しているのだ。

    「初夜」の言葉は今も残っているが それはもう「初体験」と同義になってしまったようだ。
    昔の「初夜」には 抑圧された性の柵が多くても、女性を大切にする 愛おしさに溢れた、処女が女になる愛惜が 篭められていたように思うのだが‥。
    とにかく女性が 娘から女になる‥と言うことは、肉体的にも精神的にも 並大抵のことでは無い。それは‥それまでの行き方を 総てご破算にする事件なのである。

    でも、人は生まれたときから、二人は見えない糸で結ばれてるとも言います。その二人が誰でどこにいるかがまだわからないだけで、いつか結ばれる、そう思ったらやけになったり、人の幸せをうらやんだりしなくなります。

    結婚とはその見えなかった相手に出会い、今まで男と女という別の肉体として生きて
    いたふたりの男女が一緒になり、「夫婦」という一体の者になるため、

    独り身つまり男でも女でも生まれてから自分だけの身(独身)が、生涯の伴侶たる配偶者を持つ時、二人の間には堅固な肉体共有ともいうべき性行為が晴れて赦されるのです。此れを結婚といいます。

    肉体を一つにする体位は沢山有りますが、初夜にふさわしい体位として昔から「正常位」が勧められているのです。新婚初夜の性交にこの姿勢がえらばれるのは、性器結合が容易であるからである・・・・・・
    正常位の仕方は、花嫁が仰向きになって脚を開き、男性は花嫁の脚の間に跪き脚を持ちます。正常位は、寝るだけで、腰枕をつかえば結合もふかくなり、新密度をさらに高める体位とされます。

    昔の解説書には、ベッドの場合は、初夜には沈んでしまい結合しにくいので腰に枕をいれることとあります。
    男性か女性がペニスを膣に誘導し男性は自分の体重を手で支えます。この体位(正常位)のままでもっと挿入を深くする為には、女性のお尻の下に枕を当てるか、女性の両膝を胸に近ずけるか、また彼の肩に両脚を乗せることの出来ます。

    初夜はまず結び合うこと、からだを共有することが重要です。一体感を得ることが大切。次の夜には、花嫁は脚を夫の腰に回して体全体で、さらに次の夜は、腰に枕を入れ、ヒザをまげて自分の腹につくようにすれば、いっそう深い結び合いとなり自由に調整可能とされます。

    互いの肉体すべてを捧げあって、晴れて肉体をひとつにする、そして夫婦となったことを互いに確認しあう儀式、
    それが「初夜」だということができるでしょう。

    まだ一人身の男女にとっては、幸せそうな友達に憧れもあることでしょうが、必ずそういう日が来るでしょう。
    今、結婚式でこれから恥ずかし嬉し?の初夜を迎える人、これから結婚式の人、もう新婚旅行中の人、
    もう新婚旅行から帰って、二人だけの新居で甘~い新婚生活に入ってる人さまざまでしょう。・・

    でも、儀式としての初夜もあっていいでしょう。
    初夜の交わりは一度でなければならないという決まりもないわけだから、まず最初はおしとやかに
    先にベッドに夫が入り待つ、そこえ、じらすように化粧を終えた花嫁が入る。花嫁を待つ夫の気持ちも、いやがうえに高ぶるでしょう。

    そして一緒になるためにベッドに入ってくれる花嫁に感謝の気持ちといたわりの気持ちも抱くことでしょう。
    そしてネグリジェに手がかかっても、パンテイーに手がかかっても、恥じらいの仕草をしつつも、手を振り払うこともなく受け入れてくれる。
    ここで初夜は半分成功したようなものです。もう愛撫の手が下がってきても、受け入れてくれるでしょう。
    初夜の第一回目は体を重ねることです。そして大切なところ同志触れ合うことです。
    ここで、入り口でもらしてしまったとしても、またすればいいのです。

    うまく結び合え肉体を共有できたら、体全体で硬く抱き合いしばらく一体感・幸せ感を十分味わうことです。
    ここで儀式としての初夜は無事終了です。

    そして、終わったら一緒にお風呂で流しあいましょう。ゆっくりして、出たら、今度は体を拭いただけで
    互いに何も付けず、「お姫様抱っこ」で、花嫁の体をベッドまで運んであげるのです。後は自由に動物となっていいのです。

    初夜はまだ長いのです。

    もちろん、結婚式二次会は幹事が気を利かせて早く開放して、早く二人だけにしてあげることです。
    日本人のセックスレス夫婦の割合が、3組に1組以上に達していることが、厚生労働省研究班
    の調査でわかった。

    調査は、16~49歳の男女3000人に対するアンケートに、1409人が回答した。
    その結果、結婚している男女が、病気や単身赴任といった特別な事情がないのに1か月以上性交渉をしない
    「セックスレス」の割合は34・6%で、2年前の調査より2・7ポイント増えていた。

    研究班の北村邦夫・日本家族計画協会常務理事は「セックスレスの人たちの背景を調べると、
    避妊法について相手との相談が少ないなど、コミュニケーションに消極的な人が多い」と分析。
    この状況が、少子化の原因の一つになっていると見ている。

    結婚したらいずれ、花嫁のお腹は大きくならねばならないし、それが当然。
    今どうか知らないが、一般に嫁いで1年位したら、オムツが干されるのが普通だった。
    つまり新婚3月ころが一番妊娠しやすい頃。

    よくお嫁さんになると綺麗になるといわれる、新しい性生活でホルモンが活発になるとか、
    性生活の悦びが花嫁を美しくするとかいわれる。新婚旅行から帰ると、「性生活」がまっている。

    結婚したら性の営みは公然の秘密で、新婚時代、特に新婚三か月はほぼ毎日、休みの前の夜ともなれば、二人だけの新居では多くなるだろう。
    新婚より広げると、週3とか1くらいになってしまうようだが、それでも週何回かは交わりを持っているようだ。
    これが月1位になると「セックスレス」というのだそうだ。

    もう新婚旅行から帰ってくる頃になれば、新しい性の営みにも慣れてくるでしょう。
    これから新婚生活にはいる花嫁もおおいことでしょう。
    新婚生活は二人だけの悦びに満ちた特権です。早く二人だけの新生活に慣れ、そして励み、素敵なお嫁さんになりましょう。
    結婚したら、新婚生活、夫婦の営みといって今まで許されなかった最終的な結婚した二人だけに与えられる特権です。

    でもいざ、それをするとなると、緊張することでしょう。でも、無事初夜を済ませ、無事新婚旅行から帰り新居に入る。

    引越し荷物の整理とか、あいさつ回りとか一通り済ませると、そこには一つ屋根の下で、一組の男女が当面二人だけで生活する。

    住むのも一緒、食べるのも一緒、そして寝るのも一緒です。住むのと食べるのはこれまでにもしてきたことだが、一緒に寝るのは新しい二人だけに許された生活。

    そこでは、二人の結び合いを深め、初夜新婚旅行での悦びと充実感をさらに膨らませ絆を深めることになる。
    みんなその秘密の行為にはどのくらい結び合う(あえる)のかというとほぼだいたい下のようです。
     
    日本人に於ける性交時間(挿入から射精までの時間)
    1~3分         15.7%
    3~5          26.4 
    5~10         30.8
    10~20        20.5
    20~           7.6
    新婚生活を満喫してる二人にはこれから一番いい季節です。
    誰もいない二人だけの新居、金曜とか土曜の夜は二人だけの生活を満喫できます。

    そろそろ燃えて見るのもいいでしょう。ちょっと新しい体位に挑戦してみるのもいいでしょう。
    これまで正常位ばかりだったら、腰に枕を入れて、両脚を夫の腰のあたりにまわして組んでみて一体感を強めてみる。
    さらに、自分で腰を折り、膝を自分の腹に付けるようにすると自分で脚を閉じたり拡げたり自由に調節できる。

    そうすると、今度は夫が花嫁の両脚を自分の肩にかけて、前に倒して花嫁に体重をかけるちょっと恥ずかしいが
    深い結び合いが体感できます。こうして少しずつ大胆な体位での結び合いを体験していくのもいい季節です。

    体位が違ってもすることはみな同じですが、ちょっと動物になってみるのもいいでしょう。
    また、肌を合わせて交わる行為に違和感無く慣れたてきたら、交わりにあたって
    性運動というのも取り入れて見るのもこの季節にいいでしょう。

    昔の本にはいろいろ出ていましたが、最近はありません。
    有名なのは「三浅一深」といって、3回入り口付近で小刻みに動かし、1回深く突くというテクニック。
    他に、互いに深く圧迫しあう圧迫運動、斜めに行う斜交運動、「の」の字に動かす回転運動、

    互いに速度を幾分差をつける時間差運動などがあり、これらや「三浅一深」などを組み合わせて性運動を行うもの。
    たとえば回転運動と、斜交運動と、「三浅一深」を組み合わせます。またこれらをそれぞれの体位で行います。
    いずれにしても二人だけの悦び、二人だけのヒミツを共有しあえると新婚生活が豊かになるでしょう。
    新婚で性の営みをするのはごく当たり前ですが、新婚時代は誰でも回数が多くなるのはあたりまえなので
    いつも同じではマンネリになります。

    適時新しい交わりのかたちに挑戦していくのもいいでしょう。

    正常位とはちょっとちがったチャレンジすべきスタイル
     抱っこして行う座位・・花嫁が主導だが、ごく自然な抱っこちゃんスタイル
     互いに横になる側位
     跪いて行う後背位・・ワンワンスタイルで、動物的そのもので恥ずかしいが
     花嫁が馬乗りになる騎乗位・・花嫁主導でかなり恥ずかしく勇気がいるのでかなり慣れてからがいい

    新婚旅行から帰ったカップルにとって、この五月の連休は、一度しかないまたとない新婚を満喫できる貴重な
    休暇です。

    料理もよし、一緒に食べに行くのもよし、・・でも、忘れてならないのは愛の営みを深める機会です。
    まだ二人だけの愛の巣で、この機会に、誰にも邪魔されず、一通りの体位や愛撫にチャレンジしてみるといいでしょう。ちょっとエッチな体位や愛撫、
    アブノーマルな体位や愛撫で思い切り甘え、抱き合い、燃えるのも愛を深めることです。新婚の二人の特権ですよ。

    性行為というのは、体をふれあい、重ねあい、結び合うことで、互いの肉体の共有です。
    初夜では、まだ異性・他人であっても、だんだん他人のものでなくなってくるのです。

    したがって、屈曲位のようにちょっと激しいが深い結び合いも体験すべきです。
    また、すでに交際期間のうちからやりあってるというカップルの場合もうあたりまえかもしれないが、
    すでに互いの分身になったものを、互いの口で愛撫しあうなど、二人だけでしかできないことをチャレンジしてみるのも
    いいでしょう・・。

    「じゃらん」とかには、ペンションとかの広告記事が中心なのだが、カップル用の広告がたくさん載っている。
    それも若い、おそらく中高生むけと思われるところがある。露天風呂も付いてて、料理もできる、いわく「私も彼のお嫁さんになれるかな」と、
    以前にもある県のペンション組合が、中学生カップルあるいは、中学生と高校生、大学生とかが泊まるということで対策立てたとかある。

    友達と旅行にといって、親には同姓同士と思わせ、異性同士で泊まるのだという。
    そこで一夜、ベッドの上で新婚旅行の初夜のようなことをするという。ラブホテルと違って、入りやすく
    他人の目をだましやすいのだ。

    いまや卒業旅行とか、あるいはクリスマスイブに恋人同士がとまるという。

    昔と違って多様化してるが、そういうのは何か味気ないし、大切なものが失われてるとも思うのだが。

    中学生や高校生が、あるいは恋人同士が、初夜・新婚のまねごとをしても、それだけです。
    本当の初夜は、もう帰らなくてもいいのです、帰ってはいけないのです。

    ずっと二人なのです。
    今や死語になってしまったが、オ・・コという秘め事、二人だけの性の営みをこれからずっと続ける
    のです。

    そして二人の愛の営みの結果としての愛の結晶ができていいのです、できないといけないのです。
    初夜はその約束でもあります。

    東京駅とかJRの大きなターミナル駅に「遠隔恋愛」と謳ったパンフがおいてあるのをご存知でしょうか?。
    新幹線と、一流ホテルを使った逢引を手助けするものです。

    パンフには、一流ホテルのキングベッド部屋とベッドごとの写真や料金がでてるのです。
    キングベッドは、幅が書いてあって、たとえば、190とか、210とか何種類もあって豪華です。
    いったい誰が使うのかよくわかりません。遠隔恋愛って「不倫」のことかなとおもってしまいます。
    たぶん週末か何かに、一流ホテルで一夜か二夜、キングベッドで愛の限りを尽くした後、再会を約しさよならするのだが、新婚旅行・初夜では、することは同じだが、もう帰らなくてよいのです。
    帰ってしまってはいけないのです。

    明日も、あさっても一緒で、二人のヒミツとして思い切り抱き合えるのです。思い切り結び合えるのです。
    それが一緒になった二人の特権なのです。初夜・心音時代は二人の特権を思い切り享受しましょう。
    結婚したその夜、新婚旅行先の宿で、夫と互いに体を交えてひしと抱き合い、肌と肌を重ね合い、互いに一心同体であることを、「性生活」を続けることを確認しあう儀式、それが初夜。
    いくらかの迷いがあっても、互いに許し許され、結び合うことによって後に戻れない夫婦となる重要な儀式。
    花嫁は初夜の床では夫に全てを捧げる、たとえ寝間着のボタンに手がかかっても、愛撫の手が降りてきても、パンティに手が掛っても拒んだりしては成らない、これを花嫁の嗜みという。
    愛撫の手がビーナスの丘に伸びてきても、恥ずかしがらず受け容れ、さらに降りてきていよいよ・・
    恥ずかしがらず快感に湿っていい。

    夫は性交に先立ち花嫁のパンティを体から取ってしまう、その間も愛撫は止めず・・
    自分も、性交に入る前に硬く怒長し、脈打つものにコンドームを付ける。
    花嫁の器官が愛撫によって性器を受け容れられるようになった頃、いよいよ結合体位で組み敷かれる、花嫁は夫の怒長した物が入口に押し付けられても、これから愛する夫の体が自分の体に入って一つになるすばらしい緊張の瞬間、逃げたりしてはいけない。・・・・・

    正常位で夫の陰茎を受け入れ、力強いストロークが繰り返されるごとに、妻となった感激と女に生まれた歓喜をひしひしと感じるのである……
    夫の精液がどくどくと私の体内に注ぎ込まれた時、「ああ、私はこの人の妻になったんだ」と感傷とも感動とも言えないものがこみ上げてきて、涙ぐんでしまいました。・・

    • 名前: 名無しさん
    • 投稿日:2019/06/12(水) 23:40:44 ID:Q3MjY3NzI

    ああ羞恥の高1ストリーキング ギャラリーに囲まれ囃されて
    地方によっては、あちこちで性的な習俗が祭りの形で昭和30年代くらいまであったという。

    兵庫県加古川地方を中心とした広範な関西地方では、15の成人式(元服)が地域で行われ
    そこで、夜神社の境内で、松明を焚いた中で、一人ずつ成人〔元服〕した証にあることを
    させられたという。

    成人したということは性行為ができること。成人する数え15、満13だから今の中2位になった
    子供たちは、素っ裸になって、大勢の成人の若者が見守る中で土瓶かけというのをさせられる。
    まだ毛も満足に生え揃はなくとも、せいいっぱい勃起したそこに土瓶をかけて赤々と照らされたいくつもの灯明だけの境内の路、両側には大勢の成人が取り囲む・・を歩き、落とさぬこと。勃起はどうしてさせるかは知らない。自分でいじくるのか、手取り足取り教え込まれるのかそこはしらぬが、まだ毛も満足に生えないすべすべのもの、根元に萌芽の兆しがるかなきか、ちょろちょろの者、もうぼうぼうの子、でもみんなそれはついていて、それを一生懸命立ち上げ、勉強のできる子もそれ以外なく、ピンと勃ちあげてみんなの見ている前で、土瓶をかけられて落とさぬように歩かねばならなく、目的地に到達できたら一人前の成人の仲間入りをする。みている男たちも、15の成人式にはみなさせられたもの。
    中学3年の15才の時、美浜町裸祭りに 参加しました。家から出るときに、すでに全裸…中学3年の15才の時、美浜町裸祭りに参加しました。家から出るときに、すでに全裸で、海辺に向かいました。神聖な祭りということで、前は隠してはいけないと、隠さず走りました。同じクラスの 女子がいて、目が合い、手を振りました。。写メとられました。海辺近くは、女性も多く、小学生、中高生、おばさんも集まってました。前隠さず行きました。写真とられました。。これって、ストリップみたいでは、ないですか? 神聖な祭りということで、全裸で隠さず、性器丸出しです。なんか、ほかの県から、みにきて
    る女の人も、いるみたいです
    美浜の裸参りは250年の伝統行事という。
    昔は15歳といえば成人式、数えで今の満13歳と何か月のはず。
    今の中二位か。
    いつだったかのTV朝日のモーニングショーで朝っぱらから
    美浜の全裸画像(時々モザイク掛け忘れあり)放映直後に
    教育何たらからクレームが殺到し、おまけにホモカメラマンが大挙して
    祭りに押し寄せて、褌着用に追い込まれた、と聞いている。
    美浜の裸祭り
    初めてこの祭りを知ったときはあまりにも衝撃的すぎて都市伝説かと思った。
    祭りの詳しい説明は省略するが、大晦日の夜に愛知県美浜町上野間地区の16歳から22歳の男子が、除夜の鐘が鳴る中、「全裸」でそれぞれの宿(同地区の42歳の厄年の家)から上野間漁港の海岸まで約1km弱をストリーキングして、海で禊を行うという祭りである。

    田舎とはいえ、ストリーキングするルートにはコンビニもあればガソリンスタンドもある。そんな場所を16歳から22歳という若い男たちが全裸で歩いたり走ったりするのである。

    残念ながら現在ではふんどし着用となり、全裸になるのは海岸に到着した後の禊のときだけである。
    理由はおそらく女やゲイが無秩序に写真や動画撮影をしたあげく、それを無修正のまま販売されるということが横行したためであろう。あるいは部外者からの批判が多くなったからかもしれない。
    しかし、そんなことで250年以上も続いた伝統を放棄するというのはいかがなものだろうか。
    先人達に対して申し訳ないと思わないのだろうか。
    こんな外部的要因によって無理やり伝統を放棄する屈辱に耐えられるのだろうか。
    私は声を大にしてこの祭りの関係者に言いたい。即刻、今まで通りふんどしなどを身につけない、全裸の祭りに戻すべきだと。
    やっぱり美浜の裸祭りはすごいですね。
    裸祭り知名度ナンバーワンだけあって、観光客の数には圧倒されるほど。
    地元のおじちゃん、おばちゃんよりも、観光客のほうが多いんじゃないの?って感じ。
    ビデオカメラも数十台、全裸で走っているイケメン高校生にはフラッシュが焚かれっぱなしで、祭りの荘厳な雰囲気に似つかわしくない、かなり異様な人たちが見物できました(笑)

    地元の若い男の子といろいろ話をしたんだけど、ネットが普及して色々なところで情報が流れるようになってから、観光客もビデオカメラの数もけた違いに増えたっていってました。
    でも、目的はどうであれ、わざわざ遠方から年越ししてまで元旦のお祭りを見に来てくれるのは嬉しいそうです。
    祭りの雰囲気もとても情緒があって十分愉しめました。
    来年も行きたいな、と思わせる祭りでしたよ。(男の人のレベルも高いですしね!)

    ● スケジュールおよび祭りの概要
    12月31日 夜8時頃 地元の若衆(男性のみ、15~24歳)
    3~5名がそれぞれの宿(42歳の厄年の家)へ行き、雑煮を食べ、
    振る舞いを受け、風呂に入ってから仮眠をとる。
    夜12時~1月1日AM1時、除夜の鐘が鳴る中、総勢80~100
    名の素っ裸の若衆達がそれぞれの宿から上野間漁港の海岸まで
    約1km弱をストリーキングし、海の中につかって禊を行う。
    (強風の時は中止されることがある。)
    美浜町の祭りは、男性は若い子だから、さすがに恥ずかしいらしく、
    手でチン○を隠している人が多いです。
    決して露出狂とは思えません。
    狙ったイケメンが手で隠していてチンコが見れなかったとブーイング
    も多く目撃されます。
    俺の住んでいる地域
    16歳以上の男子青年は、大晦日の夜に
    全裸で海岸まで走らされ、海水で禊を受けなければならない

    沿道には、多くの見物の女
    寒さで震えながらも、走りながらプラプラしている俺たちのチンコを
    ビデオやカメラのおさめている

    俺は、いよいよ今年から参加しなければならない

    とほほ・・・
    美浜町出身の友達に誘われて裸祭り見物行ったことある。
    まさか、本当に全裸だとは・・・
    美浜メンズたちのお尻は息を飲むほど美しい。
    あれは正に神があの子たちに与えた造形美である。
    あぁ、来年もあの芸術的なお尻を拝みたい
    上野間の裸まいりは、大晦日の夜に愛知県知多郡美浜町上野間地区で行われる祭です。

    私が、初めて教員講師となり赴任しましたのが、こちらの地区でした。

    16歳~22歳の男児が数え年42歳の厄年の男性宅を一糸纏わぬ姿(2008年より越中褌着用)でまわり、午前0時過ぎに、上野間漁港の海岸まで走り抜け、海水で禊を行います。

    私は、当時23歳でしたが、同僚や先輩先生方、父兄の皆さん、そして教え子の高校生達からの多っての希望を受けまして、参加させて頂くことになりました。

    一糸纏わぬ姿となり、厄年のいる家を回りました。

    初参加であり、大変緊張しておりました。

    私の陰茎は、すっぽり皮で被われていて、寒さと緊張でさらに縮んで、埋もれた常態でありました。・・
    【真の裸祭】愛知県美浜町で毎年大晦日夜から元旦にかけて16~23歳迄の男子が一糸まとわぬ姿で走り抜け、海に入る『上野間の裸まいり』。厄年男性の身代わりに若衆が全裸で海に入り厄を落とすという地元の伝統祭礼だが、近年の情勢を鑑みて全裸中止に。
    毎年、元旦に行われるおめでたい裸祭りがあります。
    そのお祭りは「愛知県知多郡美浜町上野間裸まいり」といいまして、
    大晦日夜12時から元旦AM1時にかけて、除夜の鐘が鳴る中、
    総勢80~100名の素っ裸の若衆達(男性のみ、15~24歳)が、
    それぞれの宿から上野間漁港の海岸まで約1km弱を全裸で走
    り、海の中につかって禊を行う、というものです。
       
    裸祭りに初めて参加する男の子からの書きこみ・・

    いよいよ、俺も今年から全裸で新年の禊に参加させられる。
    知り合いの女子には、「今年はいよいよ、○○君(俺の名)のチンチンが見れるね。
    今から楽しみだわ。」とか言われている。

    参加は高一からです。
    全部で何人が参加するかは、わかりません。
    近所の友達、皆、「やだよなぁ・・ とうとう、この年になったかぁ。。」
    という話になります。
    まあ、去年の年末から、「来年は俺たちも、さらされるのか・・」
    と愚痴りあってはいたけれどね。

    参加の確認は町会でアンケートが来ます。
    前にも書いたけれど、参加が当然という雰囲気
    去年初参加した先輩は、やはり恥ずかしかったけれど仕方ないという気持ちだった
    そうです。また来年もかぁ・・と思ったとも言っていました。
    今年は、俺も同じです。
    女子からは、○○くんのは大きくてかっこいいとか
    コメントを言われたりもしたそうです。
    「来年もまた見れるのね。楽しみだわ」なんてこっちの気持ちにもなれ
    と思うようなことも言われたりだったとか。
    実際、これも上に書いたけれど、俺も今から、近所の女(同年代からおばさんまで幅広い
    層に)から、早く見たいわ とか言われています。

    ○○くんのは~だったわよ。
    △△くんのは、意外にも~。
    あら、背は低いのにアソコは大きいのね。
    などと見たチンコの品評をしている。
    今年から俺も品評されるのか・・・

    『大晦日の深夜12時~1時に宿から上野間漁港の海岸まで
    約1km弱を走り、海の中につかって禊を行い、宿まで戻る。
    この間ずっと素っ裸。』
    ということだから、チンチンもキンタマも縮みあがってしまうでしょ。
    そんな状態のを好きな子に見られるのはイヤだよなぁ。
    好きな子の前では格好良くしたいものなぁ・・・

    全裸のまま、厄年の人がいる家を回っていくんだけど、その家に近所の若い女の子やおばさんらが集まってるよ。
    一応は、裸男に雑煮を振舞う手伝いという名目になってるけど、実際はチンコ品評の目的w
    暖かくて明るい室内で同級生や知り合いのチンコを観賞できます。
    キャーキャーと黄色い歓声がすごいです。
    ハイテンションでピースしている20歳代の男もいるけど、大半は恥ずかしそうに手でチンコ隠してる。
    ちょうど今から10年前の2008年大晦日まで全裸、高1の包茎、オナニ―盛りの高校生でも、ずる剥けの若衆でも、素っ裸のフリチンのスッポンポンで1kmも全裸ストリーキング行われた。

    2009年大晦日から褌着用になった、残念。。。
    例年新規参加の高1は包茎率100%だったな、 中学生みたいな。
    見栄剥きできるやつも途中で被っちゃうとかっこ悪いから
    最初から被せてたみたいだよ。

    愛知県知多郡美浜町上野間地区に、上野間はだか詣りという伝統行事があります。
    大晦日の夜に、15~24歳の男たち月、厄年を迎える成年の家から裸で飛び出して海まで向かい、戻ってきます。
    2008年まではフリチンでしたが、外部からの反対もあり、今は褌着用です。
    (ただし海につかるときは一旦外します。)

    極寒の中全裸で走って海にもつかるのに、女は笑いながら見ているんです。
    海に行くまでの長い道のり、細い薄暗い道、明るく光り輝く広い道の交差点、こうしたところには、カメラヤビデオを持った若い女のギャラリーガ取り囲む・・・そんななか一糸も身に着けずギャラリーの取り囲む中、男のすべてを晒してストリーキング。寒いから小便がしたくなる・・

    フリチンだった頃は、女性ギャラリーがあちこちにいて、平気でカメラで撮っていました。
    全裸を。性器アップ含め。家の前で待機したり、海で待機したり。
    特に高校生男子だと、クラスの女子が見に来て写真に撮られてしまいます。
    彼女らの間で写メ転送しまくりますから、あっという間に広がります。
    ○○くんのは小さい、○○くんは包茎なんだとか
    彼女らの間で笑いながら見てますよ。

    伝統行事を名目に、本人許可なしに裸を盗撮しても逮捕されません。
    特に撮影者が女なら、なおさら逮捕しにくいでしょう。
    女は特に男性の裸を撮ることに対しての罪の意識は少ないですから。
    女が男を盗撮してる光景を訴えようとして盗撮したら、逆にその女を盗撮した人が捕まる時代ですから。
    迷惑なんたらという罪で。

    でも高校生男子まで裸になってるのだから、それ撮ったら明らかに児童ポルノですよね。

    もし仮にこれが男女逆だったら、
    女は「盗撮だ!」「女性軽視だ」「女がかわいそうだとおもわないの?」
    と自分たちのことを棚に上げて抗議してくるでしょうが。
    女が損しない場合は例え男がかわいそうでも文句言わないですからね、女は。

    でもこの行事、ホモのギャラリーも多く、彼らが撮った動画がインターネット等で出回ってます。
    いい男たちの美しいヒップが躍動する美尻祭り→上野間裸まいり・・
    やっぱり美浜(上野間)裸まいりはすごいですね。
    裸祭り知名度ナンバーワンだけあって、観光客の数には圧倒されるほど。
    地元のおじちゃん、おばちゃんよりも、観光客のほうが多いんじゃないの?って感じ。
    ビデオカメラも数十台、全裸で走っているイケメン高校生にはフラッシュが焚かれっぱなしで、祭りの荘厳な雰囲気に似つかわしくない、かなり異様な人たちが見物できました(笑)

    地元の若い男の子といろいろ話をしたんだけど、ネットが普及して色々なところで情報が流れるようになってから、観光客もビデオカメラの数もけた違いに増えたっていってました。
    でも、目的はどうであれ、わざわざ遠方から年越ししてまで元旦のお祭りを見に来てくれるのは嬉しいそうです。
    祭りの雰囲気もとても情緒があって十分愉しめました。
    美浜町誌では、上野間の裸詣り祭礼の発祥は、不明となっていましたが
    どうやら、室町時代頃からではないかという説が有力であります。
    厄年の人のかわりに、若い衆が真っ裸になり、海で身を清め、

    神社に代参する、はだか参り。
    今は15歳からだが、昔は年齢は数えで、数え15の元服の歳、つまり今でいえば満13歳何か月、中二位からだったでしょう。

    伊勢のある地区では、昔から、海で身を清め、神社に参るところがあるらしく(今も行われているかは不明)
    厄年の人のかわりに、若い衆が真っ裸になり、海で身を清め、
    神社に代参する、はだか参り。

    伊勢のある地区では、昔から、海で身を清め、神社に
    参るところがあるらしく(今も行われているかは不明)

    室町時代に、伊勢詣りの際に、上野間へ、持ち帰り、今の祭礼が、継承されているのでは。
    と言うことでした。
    美浜の裸参りは地元の中学男子で3年生から参加資格があるそうです。
    イケメン男子高校生のプリケツを拝みたい
    男子高校生はチンコは発展途上でかわいいけど物足りないかも。
    でもたしかに尻はぷりぷりしててきれいだね。
    それと懸命に恥ずかしさこらえてる顔がいい。
    知り合いの子にがんばれって声かけてやったら
    恥ずかしそうにうつむいて手振ってた。
    おちんちんどころかお尻の肉までプルプル揺れてました。
    左右にプルプル揺れる男の子たちの臀部は正に圧巻です。

    村で若衆の一員になる儀式だよ。
    若衆として毛が生えたちんぽを出して、もう子どもじゃありません。
    いつでも婿にいけますという、元服宣言だ。
    昔なら女が気に入った若衆に祭りの夜に抱かれ、新年を迎えたんだよな。
    少年たちは恥じらいながら・・

    • 名前: 名無しさん
    • 投稿日:2019/06/12(水) 23:51:05 ID:Q3MjY3NzI

    「全裸面接」「ヌード鑑賞」 暗幕の中の男女6年生 羞恥の健康優良児残酷ものがたり

    健康優良児審査は、昭和5年に始まり、昭和53年まであったA新聞社の以外にも、県独自のものとか、他の団体のものとかあったようです。県のものは、小学6年生のものと、中学生のものがあったよう。
     中学生も小学生と同じく全裸面接があったところもあるようだ。これは、今はやりの児童虐待の先駆けだったように思われる。

     ちょうど東京オリンピックが10月に開催された昭和39年9月。このころ昭和30年代から40年代の高度成長期のまっさかり、半ズボン全盛期でもあるが、健康優良児審査も全盛期で佳境に達していた、ひどいことがあったことがいろいろ言われている。
    こうした新聞や週刊誌に痕跡が残っているということはたいへん貴重ではある。とくに健康とか体力とか関心が強く、「管理教育」ともいわれ、裸にするなどということも今より社会的に許されていたのだ。

    ただし、すべてではなくかなりヴェールに包まれている、地方よって、時代によってさまざまでいろいろ人権無視のことが行われていたようだ。

    また一般に女の子が恥ずかしかったとか女の子中心で作られているが形の変わる男子の方が恥ずかしいのだ。

    この記事によると、男子はパンツ一枚、女子はブルマ一枚となっている。

    一般的には、男子、女子とも下着のパンツ一枚だったようだ。

    男子のパンツとは下着のパンツ、つまりこの時代はブリーフ、だから上を脱ぎあの短い半ズボンを脱いでそのままということか。体育用の短パンとかはかない。

    いわれていることは、いろいろあるが10人くらいの前で、男女ともパンツ一枚で面接し、途中で脱ぐというもの。

    こうなるとヌード鑑賞・・ということ。

    下着一枚にして綺麗な膚、すんなりした腿、それを露わにさせた以上、そこだけ発毛の兆しのあるあたりも脱がさせないわけにはいかないだろう・・

    健康優良児は体の成長は好ましいがワセ(性的早熟)は駄目、性的早熟だと成長が直ぐ止まる。

    健康優良児が他の子に身長が追い越されるなどということがあったら、こまる。

    健康優良児の発毛それは成熟度、つまり成長の頭打ちを示すもので、
    学校推薦の時点からパンツの中までよく調べたようだ。

    男の子のすね毛とか声変わりなどだめ。

    せいぜいそこに発毛の兆しがあるかなきか程度がいいとされる。
    女の子も同じ。

    いくら成長がよくとも、半ズボンからすね毛が出た腿を出してるような子とか、あまりボインの女の子はだめ。
    最後のものに手をかけても、なかなかおろせないでもじもじ羞恥の仕草を観察しながら・・恥ずかしい残酷な質問に、意志に反して膨らんでゆくのを前かがみになって股の辺りで手を組みなんとか隠そうとしたり、そんな羞恥の光景をたっぷり視姦・・

    このあたりたいへんデリケートでヴェールに包まれ秘密の領域!。
    健康優良児審査は、信じられないという面も多々あるようだが、実際にそういうようなことを疑わせる週刊誌報道があったことを考えれば、そういうこともあったと思った方がいいだろう。要は地域や時代によっていろいろあるということだろう。
    戦後、昭和30年代以降、高度成長時代は、「半ズボン」全盛時代、高度成長時代、男の子は学校の保険の先生や校長先生に見送られて検査場に臨む。
    しかしそこでは、最初にすることは、まだ男女別で半ズボンも脱いでしまって下着のブリーフ一枚になることだった。

    そして、これもパンティ一枚の女子の待つ部屋に、ブリーフ一枚で入っていく。・・
    まだそこで行われる羞恥の検査場、ブリーフさえも脱いでしまうなんて思いもよらぬことだった。
    健康優良児は、適度な発育が求められ、早熟はだめだったそうです。特に性的早熟はだめ、毛深いのはだめだった同です。小学六年生だからあまり早熟だと身長の伸びが止まってしまうことかららしい。だから男女とも陰毛や肉つきなどは詳しく検査したといいます。六年生としてふさわしい発育で、身長は高くてもあまりボインとか性器が発育しすぎもチェックされたそうだ、陰毛は男女ともうっすら位が一番よく、ボーボーはだめ。
    中には面接の際、ブリーフ、パンティもつけない全裸で脚を開きブリッジさせて検査官が何人もそばにきて取り囲み触って調べたりしたそうだ。男の子にはチンポコをつまみ、袋をつかんで動かし、包まれた敏感な包皮をつまみ開き、会陰肛門まで、女の子にはヴィーナスの丘を触り、開かれたオマンコに指を添えてさらに開いて・・。

     昭和39年の北陸地方の予選では、男女ともかなり長い時間全裸で行われたそうだ。・・
    告白によると男女一緒で、何人も入れて見ている前での男女交代交互にひとりずつだという。

    一般に地方では、当時盛んな[管理教育]の度合いの強いところに異常な事が行われているようだ。

    私達がその前で横並びで整列すると、パンツを脱ぐように言われました。

    ジャンプすると、男の子のあそこは飛び跳ねる。Y字バランスは女の子の割れ目がはっきり・・、ブリッジは男も女の子も、股や性器が正面にはっきり・・。何をされるかわからないと思うが、こんなことをさせられるために、パンツを脱ぐ・・。
    大勢の中には、どうしてもパンツを取って裸体をさらすことはできないものもあったようで、こういうものは失格となって退場となったそうです。
    ほとんどは学校を背負ってきているという自負があったので、いうがままにするしかなかったという。男の子でも女の子でも、何人もの審査員の目の前でパンツを脱いでしまうなんてとてもできずも、パンツに手をかけざるを得なかったのだろう。
    羞恥に満ちた審査風景が思い浮かぶ、その羞恥に耐えることも検査のうちだったという。

    もしあなただったら、どうしますか?。学校代表ということになると、いやでもいわれるままやるしかないようです。一人と集団でどっちがいやですか?。普通面接なんて、制服を正して緊張して面接官の前で緊張して立ったりあるいは座ったりするのだが、下着のパンツ一枚。昭和も40,50年代は女子でも「プチトマト」とか「ニンフェット」という雑誌、男子も同じ、12,3-4の少年少女の人糸まとわぬ性器も丸出しの写真が見られた。そこで、面接官の前で、陰毛は生えましたか?とか質問され、・・では見せてくださいとなり、そんな姿を晒すことに。

    女の子は「ニンフェット」という女の子のヌード雑誌があったが、それみたいに、薄毛に覆われたまだピンクのビーナスの丘と割れ目、ふくらみかけた乳房、そしてきれいな桃もすべてをさらし。男の子もパンツを脱いでしまうと、まだきれいな皺に覆われて片側が釣り下がり嚢状にぶら下がった器官、付け根の辺りに黒いものが見えるが、まだきれいな下腹を晒し、まだ先も朝顔の蕾のように清潔に包まれた確かに男の子であることを称する膨らむ器官をありのまますっかりいいというまで前後左右晒す。集団の場合は互いに様子がわかる。
    一人の場合面接が長引いて後のものが待たされるという。10人くらい入って体育座りで待ち一人または二人くらいずつ行う。この場合これから自分がされることを見せ付けられて順番が着たら出て行く。男の子だと待つ間に膨らんでしまう。

    私達がその前で横並びで整列すると、パンツを脱ぐように言われました。・・黒いカーテンが敷かれた体育館の中で、こんなことが行われていたんですね!。恥ずかしいからはいている最後の布切れ一枚に手をかけて・・足首からとってしまうことを求められる・その完全ストリップする場面をつばを飲み込んで恥ずかしそうに手をかけるのを一部始終を待つ審査官。小学校では男女一組を推薦するのだが、その男女一組ごとに、互いに羞恥を揚目合わざるを得ないよう一組で行ったところもあるという。何々小学校6年、・・だれだれ君、だれだれさんと呼ばれて。脱ぐときは互いに向き合って一二の三で脱いでしまうのだという。そそ手これからも顔を合わせる男女二人の子が互いに違う性器をむき出しにして、勃ってしまうようなことを・・させられるというのだ。

    何でも面接というのは緊張するものだが、健康優良児童審査を受けたもと児童の告白を読むと、部屋に入る時から男女とも、下着のパンツ一枚または、パンツ一枚も付けない性器丸出しの素っ裸で行ったところもあったようだ。いろいろシチュエーションがあって、一人ずつのところ、何人か集団のところ、別室で待機して呼ばれたらパンツをとってしまって部屋に入るところ、面接の途中でパンツを脱ぐように言われ脱ぐところなどがあったようだ。

    健康優良児童の審査会はどこでも男女とも下着のパンツ一枚というのは同じだったということはよく知られている。いろいろな恥ずかしい全裸検査とか全裸写真撮影などあったところがあることは、告白で出てくることだが、面接も下着のパンツ一枚で、やり方はいろいろなバリエーションがあったようだ。面接は地方審査では5人の男の審査官。中央審査は15人の男の審査官。地方では時代や地方によっていろいろバリエーションがあったよう。普通面接は男女別だが、男女一緒にしたところもあるという。もちろんそれでも全裸に剥いたという。これにはいろいろバリエーションがあるが、学校ごとに、何々小学校6年男子、何の誰々君、女子誰の誰々さんと呼ばれて面接し途中でパンツも取らされ向き合わされたりいろいろ運動させられたりするという、男子は勃起してしまうという。

    健康優良児は、適度な発育が求められ、早熟はだめだったそうです。特に性的早熟はだめ、毛深いのはだめだった同です。小学六年生だからあまり早熟だと身長の伸びが止まってしまうことかららしい。だから男女とも陰毛や肉つきなどは詳しく検査したといいます。六年生としてふさわしい発育で、あまりボインとか性器が発育しすぎもチェックされたそうだ、陰毛は男女ともうっすら位が一番よく、ボーボーはだめ。中には全裸でブリッジさせてそばにきて触って調べたりしたそうだ・。

    全部ではないが、地方によっては男女ともこのように、パンツまで取らされて全裸にされ、性器やお尻、おっぱいすべてさらして面接するところが会ったらしい。もちろん隠したり羞恥のしぐさが出ると減点されたようです。健康優良児は中学二年生くらいの体格が普通だったようだが、当然発毛もある、だがうっすらくらいがいちばんよかったようだ。

    昭和40年代、「週刊現代」に、あちこちで行われていた、この健康優良児審査のことを報じていた。中のことはわからないとしているが、会場の体育館かの窓には黒いカーテンが引かれ中がわからない。なかでは裸にしているようだ・・というように、ここに書いてあるようなことを疑わせるに十分なことだった。審査官の見ている前で全裸にしたという体験者の話がいくつもあるが、本当にこのようなことあるいはもっとすごいことが本当に行われていたのでしょうね。
    地方予選で「うっすら」だったのが全国大会で「ぼうぼう」になったりして
    A新聞の場合、地方予選は9月、中央審査会は11月。この時期の2~3か月の差は大きい。

    思春期に急に背が伸びて、骨格と筋肉が成長するのは、成長ホルモンと男性ホルモンが関係していると言われています。ところが、成長ホルモンと男性ホルモンのバランスはとても微妙で、思春期に男性ホルモンが多過ぎると、かえって骨の発育が止まってしまい、身長が伸びなくなってしまったり、副生殖器が肥大化するなど成長のバランスが崩れてしまいます。

    性ホルモンには、成長ホルモンや甲状腺ホルモンと異なり、骨を急激に成熟させる作用、つまり成長の終了をもたらす作用もあります。たとえば、二次性徴が早めに起こるこどもは、成長スパートも早めに来て、早く高い身長になりますが、それは最終身長に達する(骨成熟が起こり、成長が終了する)のも早めだということです。他方、二次性徴が遅めに起こるこどもは背もなかなか伸びませんが、骨の成熟も遅く、あとからスパートが起きます。この違いは、性ホルモンが増加する年齢の個人差によります。思春期(男子は13歳頃、女子は11歳頃)に、身長が急激に伸びます。男子で年間約10cm、女子で年間約8cmという思春期の伸びは「思春期成長スパート」とも呼ばれ、これが終わると伸びは緩やかになり、やがて最終身長(成人身長)となります。

    思春期の発来時期は個人差が強く、同級生と比較しないほうがよい場合が多いですし、特に男子の場合は女子に比べ思春期が遅く出現する子供が多いといわれています。 一般的には、一旦思春期が来れば思春期は正常に進行します。

    ・ 思春期が遅いほうが最終身長は伸びる。思春期になるまでの期間は身長が伸びていますので、この期間が長いほうが最終の身長にプラスになります。

    ・ 思春期になると数年間は身長の伸びが非常に良くなります。思春期が遅いとこの身長の伸びのよい時期が遅れてきます。この身長のスパートが遅いと一時期は身長差が開くことになります。身長の差が開くためのストレスと2次性徴がまだ来ないという精神的なストレスが強くなります。

    ・ 思春期が遅いほうが最終身長は伸びる。思春期になるまでの期間は身長が伸びていますので、この期間が長いほうが最終の身長にプラスになります。
    昭和40年代は、高度成長の真っ盛り、男子は真冬でも短い半ズボンがあたりまえで、元気な子供としてたたえられた。真冬の雪の中でも、学校方針で上半身ハダカでマラソンさせたりというのもあった。

    健康優良児表彰は, これまで長年の審査のノウハウが練磨・研究され開花し、佳境の域に達したことでしょう。特に50近くある地方審査の場合は、それぞれの地域で自由すき放題に蓄積されたのではないでしょうか。推薦する校長も、実質主催する教育委員会も、監督する県も、文部省も一致結託してベールに包まれたなかで、検査会場には暗幕を張ったり、マスコミにはもれないようにして。良く、線香花火にたとえ、終わりが一番華やかといいますが、もう健康優良児表彰制度は、この二年後以降からどうしたことか脱退する県が相次ぐのです。この辺りが実態を探るポイントではないでしょうか。

    一つの形として都府県によってだが、「健康優良児」が学校の期待を背に、Y字バランスなど羞恥の全裸柔軟体操などさせて「自らの体をくまなく晒す」ことを競わせたという話し、しかも審査だけでなく途中の行動にまで及び、それを異性の目の前でも、てきぱきと晒すことが求められたとしたら・・。

    そんな中で、小学校からは優秀なといってもよく理由がわからぬまま選ばれるのだろう。男女各一名が候補として推薦されるが、それも締切りまじか、背も150くらいの子が選ばれたのだろう。学校の誇りを背負って行かされる子もたくさんいたのでしょうが、全てではないにしても、ヌードショーがまってるとしたら、それも知らずに。

    ちょうど同じ昭和40年代の半ばころ、「ハレンチ学園」という漫画が流行したのを知ってますか。映画にもなり社会的にも問題を起こしたようです。映画「ハレンチ学園・身体検査の巻」というのもありましたが、これを聞くと、同じころ実はこれ以上のことが、ある学校みたいなところを借り切って、しかも実質教育委員会主催でひそかに行われていたというのですかね。

    恥じらいのころ小学六年生男女が一緒にされたうえ、生まれたままの素っ裸にされて長時間素直に生まれたままのありのままの姿を晒したのだと思います。
    ・・なんてことは映画でさえなかったことです。多分こうしたことを週刊誌などが嗅ぎ取ったとしても当然でしょう。いろいろ話が断片的に出てたんですが、やっぱり(全部ではないが)あったんですね!、そう考えていいですね?。

    でも、そこに候補として推薦されて審査に臨んだ多くの男女児童がいたんでしょうね。学校を背負ってるとは言え、どんな心境でパンツに手をかけ、そして裸体をさらしたのでしょう。恥ずかしいところ、男の子の男の子たる恥ずかしいところが意思に反して生理の赴くまま膨らんで角度をましていくとき男の子はどんな気持ち、羞恥でしょう。少女ヌードの
    女の子のように、いつも体操着の中に隠れたわずかに萌芽の兆しのあるビーナスの丘や筋を余すところなく晒して、足を開き体を反らして柔軟体操しなければならないときは・・
    他の時代もそうだったのか知れないが、少なくとも昭和40年代はたぶん「健康優良児審査」が一番すごかったひとつではないだろうかとの話もあります。

    昭和40年代末から、健康優良児審査から脱退する都府県が相次いで、昭和52年には、東京都が近く脱退する旨表明したことが、決定的になって昭和53年に朝・新聞(「全日本健康優良児審査会」)主催、文部省後援のこの制度が終了するきっかけだそうです。

    昭和40年代だったか、週刊誌にどこかの県の審査のことを、裸にしてるようだとか批判的な記事があったのを見ました。その会場には、暗幕が張られていたとあります。多分、ここにかかれてあるようなことがひそかに行われてたのではないだろうかと思います。

    東京都もかなりすごいことが行われ、優良児審査を引っ張ってるところだったようですが、そこからも脱退の意向が出てきたのは、多分このような人権無視のようなことが多分行われ、それがマスコミ等にもかがれ、批判があったのではないだろうか。ここでいわれてるようなことが県レベルですべてで行われていたと考えるのは間違いで、県によってその時代によって、私はないもなかったという人もいるでしょうし、同時に全裸にされたという人もいるでしょうが、多分両方ただしいでしょう。

    少ないにしても、少ない中で、全裸で・・という話も多すぎ、それがすべてウソということはできないと思います。だから廃止にむかったのではないでしょうか。この健康優良児制度は論文にもなってるようで、一流大学の卒業論文の立派な課題にもなっていて、健康を啓蒙した制度という点で決してエロでもないのです。

    小学生の健康優良児審査でも、生えかけぐらいの少年少女が代表になったのだろ?
    「週刊現代. 6(40) 1964」(1964.10.8)「ヌードを鑑賞した?健康優良児審査会–現代っ子の体位向上が招いた思わぬ不始末 」
    昭和39年(1964)9月7日に実施された「健康優良児童審査会」の大分県地方審査会の模様。
    9月9日付け地元O紙に出たものという。

    「健康優良児童審査会」は東京で11月頃開催される、そしてその地方代表を選ぶ地方審査会が毎年9月に開催されるもの。
    これには、10年くらい前から、別に独自に同時に中学生と高校生審査を行っているというもの。

    中央審査もそうだが、ここにもあるように地方でいろいろなことが行われていたと
    健康優良児に選ばれた大分生まれの●丘めぐみさんは1955年10月年生まれということだから、この三年後に
    審査会に出た。

    たぶん同じ体育館の同じ密室で、暗幕を引かれたなかパンツまで取って完全ヌードをたっぷり鑑賞されたんだね!。
    タレントで子役の●丘めぐみさんは、1955年10月、大分県生まれ。そして健康優良児に選ばれた。

    市長さんとか評議員の先生の前で全裸になり、おっぱい等、普通に触られたそうです。

    とってもいやだったそうですが、親はなんか自慢げだったそうです。

    体のあっちこっちのサイズを丁寧に測られたそうですが、

    なお、うわさでは男子は勃起の長さなども測られたようです。

    「健康優良児童審査会」は東京で11月頃開催される、そしてその地方代表を選ぶ地方審査会が毎年9月に開催されるもの。
    これには、10年くらい前から、別に独自に同時に中学生と高校生審査を行っているというもの。

    中央審査もそうだが、ここにもあるように地方でいろいろなことが行われていたという。

    県審査会に集められた児童と生徒は全部で32人。これに対し医師が3人、審査員が10人、委員長が県教育庁体育保健課長、市教育委員会、保健所長、A紙大分支局長など、
    小学校六年生男女各6名、中学生男女各7名、高校生男子2名、女子4名。
    男女別6グループに分けられたという。

    午前中は保健所でのレントゲン撮影、長浜小で検診、発育検査、運動場での体力検査を行った。
    そして午後は場所を県立体育館(スポーツセンター)に移し、その二階にある貴賓室で行われた。

    付き添いの保護者や学校の先生たちは、二階には上がれず関係者以外オフリミットにして何やら秘密の審査をしてゆく。

    貴賓室ではまず一通りの口頭試問の後、窓には黒くて厚いカーテンが張り巡らされ外から中は全く見えない。

    そこで、男子はパンツ一枚、女子はブルマ一枚で、10人の偉い審査員の先生が見ている前で、面接を受けたり、そのなかでそれぞれ指示に従い前や後ろを向いたり歩いたり、体を動かし体操したり
    さまざまなポーズをとったり、細かいことは秘密のヴェールに隠れている・・。

    ここで県一位になった男女が全国大会に進む。・・

    健康優良児審査で常識なのは、中央審査会で地方審査会でも、男女の別なく、
    審査の服装は下着のパンツ一枚ということ。
    下着のパンツ一枚・・それは、その一枚を脱ぐと生れたままの素っ裸・・ということ。

    六年生の男女一組の児童は小学校で学力も体位も体力も優れていると推薦されたもの。

    学校の名を背負っているのだ、拒否したり泣いたりすると退場させられ学校としても不名誉とされた。
    一方、特選など健康優良児の栄誉を受けた男女一組は新聞で大きく報道され、その上天皇陛下を訪問の栄誉を与えられた。
    小学校としても至上の栄誉とされた。

    地方審査会で最後の栄えある審査は、県の大きな建物、そこにえらい役人を迎え、その前で審査を受ける。
    しかも誰も入れない貴賓室!。

    ところが、審査される児童は普通なら半ズボンか正装で臨むはずなのに、半ズボンも上着もつけることを許されない男女とも下着のパンツ姿。
    (ここでは女の子だけブルマの着用が許されたということ。)

    しかもだ、栄えある最終審査の部屋はオフリミットで暗幕を張り巡らしたもの。

    たいていそうだが、上半身だけでなく男女とも、表題の副題にあるように「ヌードを鑑賞」したのでは・・という目で見るのは自然だろう・・・・。

    男女とも途中で最後の一枚も脱いでしまうよう命じられたのでは・・・・??。

    健康優良児童審査はA新聞社が昭和5年にはじめ大ヒットしたもの。
    47ある都道府県とその区、市で地方審査があって中央審査に臨む。
    その各県で、独自に別に中学生の健康優良児審査を始めたところがたくさんあった。
    大分県もそうで、中学生高校生の健康優良児審査があったということ。

    • 名前: 名無しさん
    • 投稿日:2019/06/13(木) 00:25:37 ID:c0ODI4NjU

    羞恥の医療体験 泌尿器科にて

    泌尿器科にかかったことありますか。それは羞恥の極みです。受難の一日、厄日の一日となることでしょう。泌尿器科は主に尿路の検査です。

    泌尿器科には、膀胱尿道造影、ウロダイナミクス、膀胱鏡検査・・などそれは恥ずかしい医療行為でなければ人権無視のそれは恥ずかしい診査行為がオンパレード。

    膀胱鏡検査は産婦人科の診察台のような、腿(膝)を受ける脚台の上に両脚を開いて寝ます。肛門科とかなら、少なくともそこは隠してくれますが、泌尿器科は逆に少なくともそこだけは見せないといけません。

    その上全開した股の間には、椅子が置かれていて、そこに座った医師が膀胱鏡で膀胱・尿道の中をくまなく調べるのです。

    最近、胃カメラと同じような軟性の細いのもあるが,硬性でなければだめで、軟性の後、固い金属棒の硬性膀胱鏡でやることもあるようだ。

    硬い硬性鏡は20センチ位で痛い、診察台に両腿をしっかり固定して行う。

    その産婦人科と同じ診察台で、ヒザをベルトで固定された時、ああ!いよいよだな!と思うと、これから起きるであろう事は尋常のことでないと覚悟はしつつも、そのことを想って居た堪れない気持ちになりました。

    何で自分がこんな目に・・・と。
    股を全開に突っ張って痛いくらいに両脚をいっぱい開きます。もちろん人に見せない、触れさせない恥ずかしい部分は臍から肛門まで丸見えです。試みに脚を締めようとしても、しっかり固定されてて動きません。その姿で最後の時を待つのです。

    僕は、いつも一人で勉強部屋に鍵をかけ、勉強に疲れると一人いけないことをしていました。僕のやりかたは、先端の敏感な皮の部分をひとりいじめる事です。先端をつまむと力を入れたり抜いたりします。

    力を入れると僕の中学生みたいな敏感な包皮は引っ張られ抜くと元に戻ります、それに捻り運動を加えます、つまり揉みしだくのです。また、敏感な先端を突付いたりして快感を楽しむのです。出そうになると、いやらしい指の運動を緩め、しばらくしてまたします。

    出てしまう時は、たいてい先端をつまんで、紙を探し始末するのです。終わるとこんな事もう絶対しないぞと心に誓うのですが、しばらくすると待たしてしまい、自分が嫌になってくるほど何回も何回もしてしまうのです。

    それは、僕がちょうど15歳の高校一年生の頃、オナニー盛りの恥ずかしい頃でした。ある時、僕は学校の尿検査で血尿の判定がでて、再検査ということで、地元の内科のお医者さんへ行った。そして、そこからの紹介で、病院の泌尿器科にいくこととなった。

    受付を済ませ、中へ案内されると、そこには「膀胱鏡検査室」という札が付いていた。

    看護婦さんが来て、「はい、では、下を全部脱いでそこの籠に入れ、この台に乗ってくださいね」と声をかけてその場は離れた。

    その台というのは、産婦人科の診察で使われるような、足を大きく開かせるものだったので、見ただけで一気に、恥ずかしい気持ちがこみ上げてきた。

    僕は、はいていたものを脱いだ。ズボンのバンドを緩めチャックに手をかけてズボンを脱いでそばの篭に入れた。そして嫌だな、逃げ帰りたいと思いつつも、観念してパンツに手をかけ全て脱いでしまったが、身の置き場もなかった。

    かといって診察台にあがる気にはなれず、下腹で手を組むようにして前屈みになって、もじもじしていた。

    看護婦が来て、「いい、じゃここから上がってください」と踏み台を指差した。もうここまできたら、嫌でも上がらないわけに行かない。今は椅子のような物らしいが、当時検査台はかなり高く、パイプでできていて、寝るレザー部分と、両方の脚を受ける台がついている。

    死刑台に上がるってこんな気持ちかと思いながら、前を隠しながらブラブラさせて上がるのはみじめな気分だ。

    レザー部分は傾けられる上半身の部分と尻がちょっと乗る程度で体を置く長さが無い、脚を脚台に乗せないと落っこってしまうのだが、とてもできず、股を閉じヒザを腹につけるようにくの字にして背中だけで寝るようにした。

    尋常なことではないだけにどうしても、文字通り尻ごみしてしまうのだ。
    看護婦は、「恥ずかしがらないで、もっとこっちに寄ってね」と僕のお尻を持ってグット脚の方に引き寄せた。

    なおも、脚を閉じて最後の駄々をこねていると、「そんなかっこうしていたら、先生がみられないでしょう。」「男の子でしょう、」と、軽く裸のお尻をたたかれた。くの字に曲げていた脚を開くと、「はい、じゃあ、ここに足を乗せてくださいね」と 看護婦さんはそう言うと、僕の足を広げ高く上げて、事務的にバンドで固定した。

    こうして恥ずかしい検査に向けて準備が事務的に進められる。そしてもう自由は無く、その脚台の高さを調整するようにして、なお大きく広げた・もうされるままだ。やだ!!、脚はつっぱり、もういやでも閉じたり身動き出来ない。もうありのままを晒すしかないことを悟ることに。

    まもなく始まるだろう診察開始に向けて完全無防備・全開にされてしまった・・・。この台でこれまで何人がされたのだろうと、ふと思った。

    何で自分がこんな目にあわなければ・・・と。そこには、ちょっと先端にふれただけで、反応してしまう敏感なアンテナのようなまだ誰にも触れさせたこともない秘肉の器官が無防備にされて垂れ下がり、自由にされるのを待つだけ。

    そして、しばらくそのままの格好のまま、検査器具を並べたりするガチャガチャとした金属音を聞きながら最後の時を待つのである。もう完全にまな板の鯉状態。

    ガチャガチャ音は、これからされること、その羞恥と恐怖を意識させ、とても勃起などという状態でなく、たぶん小さく縮んでしまっていたのだろう。もうまもなく、握られて、つままれて・・・・などと思うととても。
    しばらくすると、お腹の辺りに、カーテンがひかれていて、向こうが見えないようになっていた。

    準備をしますといってチンポコを握られた。「あっ!」と思わず声に出しそうになり、思わず身を引いて本能的に股を閉じようとした。でも、しっかり固定されている。

    感じないように上を見たまま天井の染みが何に見えるかとか、関係ないことを考えて反応しないようにした。しばらくそれでよかったが、おちついてその掌を意識しだすと、すこしずつ反応し始めた。

    これはやばい、なんとしてもこれ以上はくいとめなければ・・
    もうはじまるというのに、そればかしは・・・・でもそう意識すればするほどどうにもならなくなるのだ。

    男って本当に困る、今でもあれはいったいなんだったのだろうという気がしてならないのだ。でもされるままだ。検査に向けて、心と肉体に検査に耐えられるよう準備させようとの親心か、それやめてほしい!。

    まだ皮がかぶっているチンポコや肛門など、全てを丸見えにしたまま、しばらく待っていると、カーテンの向こう側で、先生の声がした。

    「はい、では、おちんちんを消毒します、ちょっと冷たいけど我慢してね」「めくるけど、ちょっと痛いけど我慢してね」と言った。とたんに、何かやわらかくて冷たいものが、僕の股間に触れた。もみながら皮を剥かれ、内側まで丁寧に拭かれ痛かった。

    後で知ったのだが、あまり柔らかくぐにゃぐにゃしてるより半勃起状態とまではいかなくてもちゃんとしてたほうが消毒などのためには、よいらしい。それだけではなかった。カテーテル挿入と違って、硬い金属棒を挿入されるのだ、その陰部と言われる誰にも見せない恥ずかしい当たりは広範囲に洗浄するように消毒洗浄されるのだ。

    手順
    1. ①局所を露出し、消毒液で尿道口及び陰部を広範囲に消毒する。
    2. ②男性の場合、表面麻酔薬を尿道より10~20mL注入し、10分間ペニスクレンメで尿道口を止める。リドカインショックなどの過敏反応の観察のため、その間患者から離れず全身状態の観察を行う。
    3. ③医師が陰茎を持ち、膀胱鏡を挿入する。

    それから数分間あまりのことで、僕のペニスは戻らなくなっていた。非常に敏感なので自由にならない。「ちょっと待って!」、そういいたい時が何回か訪れたが、恥ずかしくて声にだせなかった。

    そしてついに・・恥も外聞も無く、生理の赴くまま、恥ずかしい結果になってしまった。そのとても人に見せられない恥ずかしい生理に、思わず股を閉じて隠そうとしたのですが・・いつもしてる行為をみられたようでその恥ずかしいといったら無かった。

    何かとても悪いいけない事をしたような思いだった。でも、先生は気にする事も無く、下腹や内股などに恥ずかしい生理の結果飛び散ったものを綺麗に始末してくれたようだ。そして落ち着くまでしばらく休んでくれた。
    数分後、先生が「よし、もう大丈夫。いくよぉ」と言った。そのまま僕のちんぽこの口には、何かジェリーのようなものがぬられ、しばらくクランプをかけられた。

    いよいよこれから、チンポコに膀胱鏡という金属製の管を入れるのだということだ。胃カメラは口ですが、膀胱鏡はこともあろうにチンポコにいれるのだ。
    「でははじめます、口をあけて息して下さい」と言われて、チンポコを完全に掌に握られ強く引き抜くように先端に向けて引き上げられるようにされ、同時にヘソのほうに倒されたのです。それは生易しいことではありません。

    もう完全に自分のものであって自分のでない、意のままにされてるって感じです。尿道の形をまっすぐにするのでしょう。膀胱鏡検査の厳しさを感じさせるものです。

    もう痛くても恥ずかしくても、耐えられなくても任せきりとなります。
    「口をあけて力を抜いて息して下さい」途端激痛でした。とても勃起するなんてものではありません。でもすでに、全部出してしまったばかりなのでかえって射精を迎える時のあのどうにもならない思い・恥ずかしさは、膨らむくらいで少なくて済んだようだ。

    膀胱鏡検査とは、泌尿器科の大切な検査で、素っ裸で大きく開股し、丸出しにされる恥ずかしさ。

    それ以上に、恥ずかしい所を動かぬよう人権無視で「うなぎ掴み」でしっかり掌中にされ、誰にも触れさせない敏感なところ、そこに金属検査器具(膀胱鏡)を容赦なく入れられる痛さに耐えるのです。

    途中位までは我慢出来る痛さなんですが、奥に進むにつれあそこを前に倒されます。最後の膀胱に入るまでは、我慢出来ない痛さでした、涙が出てきました。睾丸のあたりが、突き上げられる感じで、尿道が痛い。足の指を動かし、診察台のパイプを握り痛さに耐えます。

    その後は20分位膀胱鏡を上下左右と動かし、あちこち何やらやっているのですが、入れる時ほどの痛みはありませんでしたが、普通の痛みと違和感をたした感じです。

    途中、水?を入れたりしていますので、とてもおしっこしたい感じが強くなるのを我慢していました。

    他にいろいろされたが、後で書きます。検査が終わり膀胱鏡が引き抜かれ、すべてが終わって、カーテンが開かれ、「はい、ごめんなさいね。もう終わりましたよ」先生はそう言うと、看護婦にさきほど丁寧に消毒されたあたりを広範囲に清払させ、消毒液をすっかり洗い落されました。

    未だ痛いので見ると、包皮は完全にめくりあげられ、やや赤い亀頭が剥き出しにされていました。それは自分でも始めてみるものでした。それを看護婦はもう一度清払して皮を引っ張るようにして元に戻してくれたのです。

    そして、脚台を元の状態に戻し、脚を留めてあったバンドをはずして裸の脚を下ろしてくれました。元のように、腰を折りたたんで曲げ横になって降りたのですが、その時はもう昇るときのように、腰を折り曲げたり手で隠したりしませんでした。

    もう、すっかりすべてを・・チンポコ、肛門、袋・・だけでなく包皮の中、膀胱の中まで、それに絶対みせたく無かったエレクトしたところ、そこから噴出する恥ずかしい生理の一部始終まで見られてしまった気恥ずかしさは消え入りたいくらいだった。

    でも、そこまですべて恥ずかしい男の生理の一部始終余すともろなく晒して、見られてしまった以上、もうそれを隠すこともなくなったからです。

    それが僕の恥ずかしい思い出です。こうしたことを経験したものもいることでしょう。今日も日本のどこかの診察室のカーテンの中で羞恥が繰り広げられてることでしょう。

    • 名前: 名無しさん
    • 投稿日:2019/06/13(木) 14:12:35 ID:c0ODI4NjU

    ある整形外科・泌尿器科など救急を持つ外科系有力病院のHP:
    当病棟でいちばん力を入れているのは保清です。術後の全身の回復・体力の低下した患者様の感染防止の第一歩は、まず「清潔」からをモットーに、職員一丸となって入浴・陰部洗浄・清拭に取り組み、患者様より好評をいただいております。
    忙しい病棟ではありますが、それだけに手応えのある看護が出来る病棟です。 (N病院、大分)

    あれは大学生のころだったのですけど。
    とある病気で全身麻酔で手術を受け、まだ回復室にいたときのことです。
    ようやくおしっこの管が抜けたときのころでした。
    少し年配だけどとても奇麗な主任看護婦さんがきて、体を拭いてくれたのですが、全身くまなく拭いたあと、遠慮も何もなくT字帯を取り去って、陰部を拭いてくれます。
    ところが、これが、足を持ち上げられて肛門まで丸見えの状態で、拭かれるのですね。
    正常な状態なら若さで勃起したかも知れませんが、何しろ手術後でしたから、傷は痛むし、恥ずかしく情けないしで、私のペニスとタマタマは完全に縮こまった状態でした。

    それから数日して大部屋に移ったあと、今度は看護実習生の若い同年代の人が清拭に来てくれました。
    そのときにはもう傷の痛みもだいぶやわらいで、あそこも溜まっている状態になっていましたから、これはやばいかなぁ、と思いました。

    最初のうちはどうということもなかったのですが、太ももあたりを拭かれると、勃起するのが抑えられず、いったいどうするのだろうと思っていました。前回の体験では、陰部もくまなく拭かれましたので。
    そのうちふとした拍子に、看護実習生の手が私のギンギンのペニスにあたり、一瞬動きが止まったので、彼女も私の勃起を意識したことがわかりました。そのころ、私はまだ女性体験もあまりなく純情だったので、とてつもなく恥ずかしくなったのを憶えています。彼女もそれほど体験はなかったらしく、赤くなっていたのが初々しかったです。

    そしていよいよ残すは陰部のみとなったとき、彼女はかぼそい声で「すみませんが、陰部はご自分で拭いていただけますか?」と言ったのです。もう恥ずかしいのなんのって。カーテンで仕切られていたにもかかわらず、同部屋の人達に勃起しているのがばれた気がしてしまいました。

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