愛情の確認のためのセックスを子供に悟られないように努力していた両親の営み
この記事の所要時間: 約 6分47秒
私の父は、とある貿易関係の会社に勤めています。
父のお仕事の都合による転勤で、子供の頃に私は引越しを3回経験しました。
最初は、私がもの心つく前。
これは、私には記憶がありません。
次が小学校4年生のとき。
そして、今回のお話の始まりとなる、私が小学校を卒業したとき、です。
自分で言うのは、とてもはしたないのですが、私はかなり裕福な環境で育ちました。
父と母の実家がそれぞれ、大きなお屋敷でしたから、その援助もあったのかもしれません。
でも、父は、朝早く仕事に出かけて行って、夜遅くに帰ってくる、という生活をずっとしていました。
すごくがんばってお仕事しているのは、子供の私にもわかりました。
父は、娘の贔屓目をさしひいても、ハンサムでした。
目鼻立ちのはっきりした整った顔をしていて、背も高く、からだつきは細身だけれど、がっしりしていました。
幼い頃の私は、8時か9時にはもう眠っていましたので、一週間のうち父の顔が見れるのは、日曜日のお昼過ぎからだけでした。
私はそれがとても待ち遠しくて、父が起きる頃になると、父と母の寝室に駆けて行き、寝ている父のお布団の上に飛び乗ったものでした。
そんな私を、眠そうな目をこすりながら抱き上げて、高い高いをしてくれる父が大好きでした。
父と母は、大学の頃にレジャー系サークルで知り合い、5年間交際してから結婚したと、母から聞いていました。
父との交際時代の思い出を、少し照れながらも嬉しそうに話してくれる母も大好きでした。
小学校の卒業式を終えた翌日に、私たち家族は新居に向かいました。
今度のお家は、新築の一戸建てです。
父の転勤もこの先はなさそうだ、という見通しがついたので、東京近県のベッドタウンに、思い切って新築したものでした。
広い敷地に大きく芝生のお庭をとった、洋風でかわいい感じのお家でした。
中に入ると、広いリビングとダイニング、お庭にはウッドデッキまでしつらえてあります。
親子3人で住むには、いささか広すぎる感じもしました。
私が、思ったままにそんな素直な感想を言うと、
「でも、ひょっとしたらもうすぐ、なおちゃんの弟か妹がやってくるかもしれないでしょ?」
母が、照れたように笑いながら言ったのを、今でも思い出します。
順番にお話します。
小学校高学年から中学生時代の私の趣味は、読書でした。
きっかけになったのは、小学4年生のときの引越しです。
引越してしばらくは、お友達もできなかったので、家に早く帰っては、それまで両親が買ってくれていた本を全部もう一度読み返していました。
子供向けの文学全集みたいなやつです。
低学年の頃に、一度ずつくらいは読んでいたはずですが、理解力が違います。
それからすっかり、『私じゃない誰かの物語』 の世界で遊ぶことにはまってしまい、学校でも、自然と一人で本を読んでいることが多くなりました。
そんな内気な転校生の私でしたが、毎日学校に通っていれば、だんだん新しい環境にもなじんできます。
夏休み前までには、おしゃべりしたり一緒に遊ぶお友達が何人かできていました。
そして、お友達との交流とは別枠で、知的好奇心を満たす趣味としての読書の習慣も私の中に定着していました。
面白そうだと思った本を、手当たりしだい、学校の図書室や町の図書館で借りたり、自分のおこずかいで買ったりして、ひまさえあれば読んでいました。
母は、私が本を買いたいと言うと、いつも黙ってお金をくれました。
その代わり、どんな本を買ったのか、ちゃんと報告することがルールでした。
でも、母は一度も、私が買ってきた本に関して注意めいたことを言いませんでした。
少女マンガを買ってきても、今思えばちょっと猟奇的な場面が多い推理小説を買ってきたときも、
「読んでおもしろかったら、私にも貸してね」
と、笑っていました。
そして実際、私の買ってきた本を、母はほとんど読んでいたみたいです。
6年生になる頃には、ベストセラーになった大人向けの本なども普通に読んでいました。
私がムラカミハルキさんの本を買ってきたときの、母の言葉を覚えています。
「あら、なおちゃん。その本なら、私持ってたのに。きれいなお話よ。ちょっとえっちだけどね」
たしかにえっちでした。でも、すごくロマンティックなお話でした。
登場人物の一人の名前が、私と同じだったこともあり、感情移入してしまい、何回か読み返したほどでした。
性的なシーンでは、もちろん当時の私に具体的なイメージを描くことはできませんでしたが、なんとなくきれいで、儚い、肌色な映像を思い浮かべていました。
男性と女性が愛し合うと、自然とそういうことをしたくなるんだろうな、と素直に受け入れていました。
ムラカミさんの本だけでなく、他の作家さんの小説にも、ときどきその手の性的なシーンが描かれていていました。
そして、後から思えば幸いなことに、それらはすべて男女の愛あればこそ的な、愛情の確認のためのセックス描写ばかりでした。
そんなふうに、読書を通じて性的なものに『耳年増』 状態となっていた私は、それに対する好奇心と期待感のほうが、その年頃の女の子にありがちなセックスや、えっちなことに対する嫌悪感よりも、上回っていたように思います。
だから、あの日、母に弟か妹うんぬんと言われたときも、あ、やっぱりしてるんだな、くらいにしか思いませんでした。
父と母がセックスしているということは、彼らが愛し合っている証拠なのですから。
その頃に思い当たったことなのですが、実際に父と母は頻繁にセックスしていたみたいです。
小学校4年生から6年生まで、私たち家族が住んでいたのはマンションでした。
家族向けのけっこう広い賃貸で、一応部屋はリビングを除いても4部屋あり、父、母、私に一部屋づつ、残りの一部屋は畳の部屋で客間と呼んでいました。
4年生の頃、夜中にオシッコがしたくなって、その客間の前を通ったとき、なにかガサゴソする音を聞いたことがありました。
翌朝、母にそれを告げると、母は笑顔で、
「ああそれね。あのお部屋には、我が家の神様が住んでいるの。なおちゃんには、見えないけど、ずっとおしゃかさまみたいに座った形でフワフワ浮いて、
なおちゃんを見守ってくれているのよ。夜だけ、下に降りてきて、ちょっと運動をなさるの。だってずっと浮いてたら疲れちゃうでしょ」
しれっと言ったものでした。
それを、つるっと信じてしまった私は、それからもたまに聞こえていたその音を、ぜんぜん気にしなくなっていました。
「あ、今日も神様いるな」
なんてくらいにしか。
親が親なら、子供も子供ですね。
休日の昼下がりに、私とさんざん遊んだあと、父がふっと、いなくなることもありました。
そして、15分後くらいに、父から家に電話がきて、母が私に告げます。
「パパが、今、会社の人と会ってて、大事なものをお家に忘れてきちゃったんだって。ママ、車で届けてくるから、しっかりお留守番お願いね」
みたいなことを。
母も出かけていき、夕方にケーキを持って、二人で車で帰ってきます。
一月に一回か二回、そんなことがありました。
もちろん、二人が出かけていくときに、いろんな言い訳があったと思いますが、いちいち覚えていません。
でも、いくら鈍い私でもそれが半年もつづけば、なんかパターン化しているのくらいはわかりました。
そして、私はそのパターンの日は、ケーキが食べられる日、と喜んでいました。
そんな謎も、小学校6年のその頃には解けていました。
二人はきっと、国道沿いにあるラブホテルまで行っていたのだと思います。
たまには、大きな声出してやりたいですものね。
この記事へのコメントはありません。