離婚直後でご乱心の保健の痴女先生に童貞を味見された保健委員の僕
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僕の童貞喪失は中学3年のとき、保健の先生(30代前半で細身)でした。
当時、僕は保険委員会の委員長で放課後は保健室によく行ってました。
それで自分の誕生日がきたときに、先生が身長とか体重とか軽く身体検査しようということになりました。
体重を測るときに先生が「全部脱いだほうが正確にはかれる」みたいなことを言ったので、最初は嫌だったのですが「どうする?脱ぐなら脱ぎなさい!」と言われて脱ぐことになりました。
で、脱いで体重計にのったんですが、もうその時点でこっちは興奮していた(やっと気づいた感じ)ので、足が震えてしまってうまく測れない感じになっていました。
そしたら先生が「気をつけ!」といって、僕の手をチンコから外しました。
ビンビンに勃起したチンコのまま、測り終わってパンツを履こうとすると先生が「こっちおいで」とベッドとカーテンの間に僕を呼んで、僕のチンコをじっとみて「これ包茎って言うんだよ、ちゃんと皮剥ける?」と聞いてきました。
「ちょっと痛いです」というと、先生は僕のチンコをやさしく握って、シゴき、そしてフェラしてくれました。(フェラ初体験)
それから毎日のように保健室にいって、そのたびにチンコを触ったり舐めたりしてくれました。
2週間くらいその状態が続いて、先生が「休みの日にウチにくる?」と誘ってくれました。
で、その日は朝から先生のウチ(アパート)に行きました。
先生のほうからキスをしてきました。(キス初体験)
そしてベッドに誘い、僕のビンビンになったチンコを貪るように舐めました。
で騎乗位で初挿入(生挿入、童貞喪失)、ブラはつけたままでした。
そのあと正常位で挿入するときにブラをとって、あとはハメまくりです。
台所やお風呂や部屋中でやって、結局、朝10時ころから夕方6時ころまでハメまくりでした。
何回やったか正確にはわかりませんが、ほとんど休みなしみたいな感じで10回以上はやってると思います。
気がついたら夕方だったのを覚えています。
先生は「童貞いい~」ということを何度も言っていました。
それから後、保健室にも行ったりしたんですが、なんか恥ずかしくなったというか気まずくなったというか、Hはありませんでした。
今、考えてみると、当時先生は離婚したばかりで名字がかわって色々噂になっていました。
寂しかったのかもしれません。大変貴重な経験でした。
ひどい妄想
ここまで妄想がひどいと病気だね
わかります。僕も小5のとき保健委員だったんですけど、会合中に寝まくって養護教諭にクッションで殴られたことがあります。で、ある日の会合中にクッション越しにバストパンチ決められて、「次寝たら(クッション越しじゃなくて)直に殴るよ」と脅されましたね。
養護教諭は女性の割には身長高くて(たぶん170ぐらいはあった)優しかったけどちょっと怖かったから「は、はい…」って目が覚めてしまったよ。まあ本気じゃなくてあくまで脅しだったんでしょうけどね。でも今考えると殴られてみたかった気もしなくもない(マゾですので)
で、その後俺たちは6年生になって、修学旅行に行くわけよ。2日目の班別行動で、石井さんという陽キャ女子がリーダーの班が「ゲーセンに行こう」みたいなこと言い出して、たまたま近くを歩いていた養護教諭も一緒に行くことになったのね。
で、養護教諭はパンチングマシーンをプレイしたのね。ものすごい高得点を叩き出したらしい。
「シュッシュッ…パーンチ!ってすごい力だったんだから」と石井さんが言っていた。養護教諭リーチも長いし高得点だったんだろうなっていうのは容易に想像できる。
ちなみにその修学旅行、俺が夜中こっそり起きて布団で飛び跳ねて背中から落っこちて背中痛めたけど、「養護教諭に心配かけたくない」という理由で隠してたわけだ。だってあんなに優しい人に心配かけたくなかったんだよ。しょうがねえだろ。
あの人、優しそうに見えて相当ストレス溜まってたんだろうな。まあ俺も原因の一つだと思うんだが。
俺達の卒業と同時に養護教諭は他の学校に異動したんだ。彼女が異動した今でも、養護教諭は僕の格好のオナニーのネタになっているよ。僕、本当に最低な人間だよね。