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人違いで陵辱輪姦された妻に対して愛する気持ちを持ち続けた元夫

この記事の所要時間: 512

それからバブルが弾け、金融機関も安泰ではないほどの不景気なので、定期的に通う私は行きつけのスナックでは重宝されました。

唯一の息抜きは、このスナックの9歳年上の陽子ママや、12歳年下の八重歯の可愛い澄子ちゃんと体を重ねる事でした。

陽子ママとは毎週、澄子ちゃんとは月2回くらいでした。

また、年に5,6回、混み合う金曜土曜だけアルバイトに来る女子大生を抱ける事もありました。

 

陽子ママは妖艶な熟女で、別れた裕子よりも色白でプロポーションは抜群でした。

日本人離れした色白で、豊かな胸は静脈が透けて見えました。

離婚歴のあるアソコは使い込まれて黒ずんでいましたが、中はウネウネしてかなり気持ちよく、肉棒にネットリと絡みつきました。

陽子ママとの情熱的なセックスは一時嫌な事を忘れさせてくれました。

 

一方、八重歯の可愛い澄子ちゃんとは明るくエッチなセックスをしました。

田舎から出てきてOLをしていましたが、バブル崩壊のあおりを受けて倒産、都会を離れがたくて水商売に入ったそうです。

少しぽっちゃりした澄子ちゃんは、純粋にセックスの快楽を追及します。

それは、割り切った関係だからでしょう。

 

大股開きでアソコをめくって、

「速く入れて~」

なんて、可愛い顔してとってもスケベなんです。

 

凄く賑やかに快楽に浸る澄子ちゃんは、平成19年、34歳の時に田舎に帰っていきました。

澄子ちゃんと最後のセックスをした後、澄子ちゃんは泣いてしまいました。

割り切った関係とはいえ、9年間も体の関係がありました。

別れた裕子との結婚期間と一緒です。

澄子ちゃんを抱いたのは200回を軽く超えました。

特別な感情が芽生えても不思議じゃありませんでした。

でも、私は誰とも結婚するつもりはありませんでした。

旅立つ澄子ちゃんを駅まで見送りにきたのは、私と陽子ママの2人だけでした。

 

陽子ママは、澄子ちゃんの後に女の子を雇う事はありませんでした。

陽子ママを抱いた後、ボソッと、

「このビル、あと3年くらいで取り壊されるんだって。再開発ビルに統合されるらしいのね。」

「ママ、どうするの?お店、やめちゃうの?」

「私、55歳よ。3年後は58歳・・・潮時ね・・・」

 

この頃、上の子供は高校生、下の子供は中学生になっていましたので、自分の事は自分でできるようになっていましたので、ママを抱く回数も増えていました。

それに、ママは中出ししても妊娠する心配がなくなっていましたので、毎回生でハードに交わりを楽しんでいました。

 

平成21年1月、陽子ママのスナックに澄子ちゃんから年賀状が届いていました。

「結婚しました。私、おっきい農家のお嫁さんになりました。」

澄子ちゃんの幸せを祈って、陽子ママと乾杯しました。

 

そして陽子ママは、

「私達も考えなきゃね。このお店も、たぶん来年で終わり・・・」

「ママは・・・どうするの?俺と一緒に暮らすかい?」

「バカ言ってんじゃないわよ。私ね、31歳になる息子がいるんだよ。2歳の孫もいる。
呼ばれてんだよね。二人目出来たら一緒に住もうってね。
共働き夫婦だから、孫守りさせようって魂胆なんだろうけど、それもいいかなってね。」

「そうすべきだね。託児所はなかなか空きがないしね。費用だってバカにならない。合理的な選択だよ。」

「アンタも、別れた奥さんに会ってみたら?ずっと会ってないんだろう?嫌いで別れたんじゃないだろ?
もう、みんな忘れてるよ。昔の事なんかさ。アンタが片付かなきゃ、私もこの店安心して閉められやしないよ。」

 

平成22年1月、ついに陽子ママの店の立ち退き期限が切られました。

借家人として補償金が出るようで、年内に店をたたんで退去しなければなりませんでした。

わかっていた事でしたが、陽子ママは寂しそうでした。

 

私は、13年ぶりに裕子の実家を訪ねました。

裕子は仕事に出て居ませんでしたが、義父母が優しく迎えてくれました。

「ご無沙汰しとるねえ。元気だったかい。新しい嫁さん、もらったんだろう?」

「いいえ、ずっと一人でした。裕子は再婚したんですか?」

「まさか、犯されて子供堕ろした女なんか、誰ももらっちゃくれないよ。」

「俺、やっぱり裕子が忘れられなくて、迎えにきたんですが・・・」

そこへ軽自動車が入ってきました。

 

「ただいまー。誰かお客・・さ・・・ん」

「あの、お友達からでいいので、付き合ってくれませんか?」

 

13年ぶりに裕子とデートしました。

もちろん、子供達には内緒でした。

年を重ねても清楚な美人は変わりませんでしたが、少しやつれた感じがしました。

本当は抱きたい気持ちをグッと抑えて、キスどころか手を握る事もしませんでした。

 

裕子は独り身なので仕事は休日に出番が多く、会えるのは月2,3回でした。

それでも半年もすると、昔のように親しく話しができるまでになりました。

 

私は、陽子ママに裕子の事を話しました。

「じゃあ、私を抱くのもこれっきりだね。長い付き合いだったねえ。」

「え?いや、まだママと別れるつもりはないよ。」

「私58歳だよ。そろそろ勘弁しとくれよ。あんた、今日は最高だったよ。今度は奥さん抱いたげな。」

ママの部屋を出るとき、感傷的になってしまいました。

 

「もう、あんたを招く事はないからね。こっちには来ちゃだめだよ。お店での付き合いだけ・・・」

「・・・長い間、お世話になりました。」

それから間もなく、陽子ママの店は閉店しました。

最後の日、キープしていたボトルを渡されました。

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コメント

    • 名前: 名無しさん
    • 投稿日:2016/04/24(日) 03:49:02 ID:U5NTk1MzA

    なける

    • 名前: 名無しさん
    • 投稿日:2018/09/16(日) 17:12:05 ID:cxMDc5NDQ

    幸せになれてよかった。

    • 名前: サイトウ
    • 投稿日:2020/08/08(土) 21:28:02 ID:cwMTUxMTE

    なんて悲しくて、そして、なんて素晴らしいお話なんだろうね❤️♥❗️。裕子さんと仲良くラブラブセックスをたくさんしていたのに、まさかのレイプ事件が起きて、裕子さんと離婚されたけども、心の中は、いつも裕子さんのことを忘れることも無く、子供さんたちを育て上げて、【そして、いろんなことをして】やっと、裕子さんと再婚してもらえて本当にすごく良かったね❤️。これからも、裕子さんとずっと仲良くいつまでもラブラブセックスをたくさん楽しんで本当の意味でお幸せになってほしいですね❤️♥❗️。

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