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人違いで陵辱輪姦された妻に対して愛する気持ちを持ち続けた元夫

この記事の所要時間: 634

裕子と出会うまでは、可愛いと美人は別の範疇だと思っていました。

4月から毎朝駅で見かける美しい裕子に、なんて綺麗な人なんだろう、と釘付けでした。

私から声をかけようと思っては挫けていました。

 

そんなある日、帰りの電車に駆け込むように乗ってきた裕子が私の隣のつり革に掴まりました。

シャンプーのいい匂いがしました。

もっと近寄って、裕子の体の匂いを嗅ぎたい衝動を必死で抑えていました。

揺れる電車に、時々腕同士が触れました。

 

その時、

「ギャギャギャーーーーーーーガシャン!」

電車が急ブレーキをかけた後、何かにぶつかりました。

 

裕子が、私に向かって飛んできました。

私は裕子をとっさに抱きかかえて、そのままドアにぶつかり、倒れました。

頭部を3針縫っただけで済みましたが、裕子のタックルを受けとめて出血したと思い込んだ裕子が、病院まで私に付き添いました。

それが縁で、交際が始まりました。

 

昭和の末期、裕子21歳、私は26歳でした。

短大を出て半年の裕子は、本当に綺麗な女でした。

でも、笑うとエクボが可愛く、髪をアップにすると可愛い女の子でした。

クリスマスイヴ、ホテルを予約して裕子を口説き、始めての夜を過ごしました。

美しく清楚な裕子はアソコも綺麗でしたが、処女膜はありませんでした。

昭和62年、この時代、20代の美人、20代の可愛い女に処女がいないのは当然の時代でした。

 

夢にまで見た美しい体を撫で回し、形のいい乳房を擦り、ピンクの溝をなぞり、溢れる蜜を潤滑剤にして大き目のクリを転がしました。

色っぽい吐息で悶える裕子は我慢の限界なのか、私の肉棒を探り出して欲しがりました。

そして、丁寧なフェラの後、潤んだ目で挿入を乞いました。

どんなに清楚な美人でも、20歳過ぎて恥らう乙女は「ブリッ娘」と言われた時代。

清楚美人の裕子もベッドの上ではクンニに悶えてフェラでもてなし、ひとつになって愛し合う華麗な女でした。

セックスは、愛し合う男女が求め合い快楽を分かち合い淫らに蕩けることで、気に入った相手とは積極的にベッドを共にして相性のいい相手を探すものだと思っていました。

空前の好景気がもたらした性の乱れと共に、20歳を過ぎて処女と童貞は恥ずかしいという風潮がありました。

 

私と裕子はお互い惹かれ合って体を重ねて、お互いの体にも満足して婚約したのが昭和63年9月。

入籍した翌年3月は年号は平成、昭和天皇崩御により披露宴は自粛しました。

綺麗で可愛い自慢の妻、裕子を披露できなくてガッカリしましたが、毎日ヒマさえあれば裕子を裸にして美しく美味なる女体を味わっていました。

平成3年と平成6年に、子供も生まれてとても幸せでした。

 

結婚して9年目に、事件が起こりました。

上の子供の幼稚園の父兄会の飲み会に行った裕子が帰ってきませんでした。

義父母に連絡して、警察へ届けた翌日。

私宛に、1本のVHSテープが新聞受けに投げ込まれました。

再生すると・・・

 

猿轡をされて開脚したままパイプベッドに縛られた裕子が、乳首を舐められて震えていました。

スカートをまくられて、パンティの上から電気マッサージ器の振動が与えられました。

裕子のパンティに、染みができていきました。

「奥さん、欲求不満なの?お汁が滲んできたよ。」

裕子は首を振っていましたが、ハサミでパンティを切られて裕子のアソコが露になりました。

 

「ほお~。奥さん、綺麗な顔してアソコはドドメ色だね。旦那さんに使い古されたの?それとも若い頃に遊んだの?」

男達は、裕子の露になったアソコに張型を突っ込んで、その張型に電気マッサージ器の振動を与えました。

「フウーッ!フウーッ!」

ネコが威嚇するときのような声をあげて腰を揺らしていました。

 

男達はニヤニヤしながら電動ノコギリの先にコケシ状の張型をセットして裕子のアソコに入れ、スイッチを入れました。

ウイーーーーと回転すると、

「フォーーーーーーッ!フォーーーーーーーッ!」

と裕子が身悶えだしました。

回転する電気ドリルを戦後に動かすと、裕子の愛液が放射状に飛び散り、裕子は仰け反って逝ってしまいました。

 

男たちはニンマリとして、今度は電機ノコギリに、最初に電気マッサージ器を当てられていた張型をセットして、裕子のアソコに差し入れてスイッチを入れました。

「フガッ!」

グッタリしていた裕子が覚醒しました。

 

ウィンウィンウィンウィンと規則正しい前後運動が始まり、裕子のドドメ色の肉ビラがベロンベロンとめくれて、愛液がヌラヌラと張型を濡らしていきました。

「ヴォーーーーー!ヴォーーーーー!ヴォ!ヴォ!ヴォーーーー!」

裕子は強烈な快感に人格が破壊されて、意味不明の絶叫を繰り返し、ガクガクと痙攣して何度も逝っていました。

 

もう、何をしても動かなくなった裕子のロープを解き、男達は順番に裕子に生の肉棒を入れて腰を振り始めました。

人形のように動かず、涙と鼻水と涎でぐしゃぐしゃの顔をボーッとさせながら、無抵抗で5人の男達に精液を注入されていました。

激しいピストンで、前の男の出した精液がブジュ!っと逆流していました。

最後は、ドロドロの大量の精液をアソコから溢れさせて、裕子は放置されたようでした。

私は、愕然としたまま膝から崩れ落ちました。

 

裕子は、河川敷でコンクリートの橋台にもたれて座っているところを保護されました。

あまりのショックで、廃人のようになっていたそうです。

 

程無くして犯人は検挙されました。

裕子は、ある男性の不倫相手である34歳の女性と間違われて、報復されたのです。

あのビデオを見た依頼者が人違いを指摘し、責任のなすり合いから犯人の一人が私にビデオを送りつけて自滅的に自首、ビデオが証拠となり全員捕まりました。

中には、女を抱かせてやると言われて誘われた大学生が3人いました。

彼らは一生を棒に振っただけでなく、父親が失職したり、姉が離縁されたり計り知れない影響を及ぼした挙句、私が多額の損害賠償を請求したので一家がバラバラになりました。

 

その後、裕子は誰の子かわからない子供を妊娠して堕胎、精神状態もおかしくなりました。

私は、汚された裕子を献身的に支えました。

 

陵辱されて汚された妻は、

「あなた、ごめんなさい。私と別れてください。私はもうあなたに抱かれる資格はありません・・・」

 

義父母には、

「裕子は、これ以上君の傍にいるのは辛いそうだ。子供達の顔も辛くて見れないそうだ。
君が裕子を大切にしてくれることはありがたいと思う。
でも、申し訳ないが、裕子の気持ちを汲んで別れてやってくれないか。」

 

私は9年間の結婚生活を閉じました。

36歳で、6歳と3歳の子供を抱えて歩き出しました。

もう、裕子の事は忘れよう、あいつはもうこの世にいないと言い聞かせて、子供のために生きようと立ち上がりました。

多額の損害賠償を得たので、経済的には全く不自由しませんでした。

次男坊の私は、実家から遠く離れた場所に住処を構えていたので、平日の家事関係と子供の面倒は家政婦をお願いしていました。

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コメント

    • 名前: 名無しさん
    • 投稿日:2016/04/24(日) 03:49:02 ID:U5NTk1MzA

    なける

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