オナペットにしていた妹とお互い結婚後も兄妹相姦の禁断の味を諦められずに愛しあうイケナイ関係
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今、東京のホテルの部屋で妹と二人でスカイツリーを眺めています。
今日の東京は台風の影響などはなく、本当にすっきりしたお天気です。
でも、先日の夜の雨はすごかったです。
妹の花園のように溢れていました。
妹と昨年の年末に抱き合ったときに、東京で二人の時間を作ろうと計画を立て、誰にも知られることもなく今回の日を迎えることができました。
妹も私もそれぞれに予定を立て、怪しまれることもなく新婚気分に浸っています。
お互い結婚しているものの、相姦の世界を諦めることができずに今日に至っています。
両親ともこのことは知っているのですが、約束の結婚をしたことで私と妹のことは諦めています。
高校生の時に母に知られ、妹も私も母に全てを話すことになってしまったのです。
知られた時にはすでに3年過ぎていて、母が止めろと言っても約束を守れないことを母は知っていたのです。
それは妹の姿を見てしまったことで、逆に変なことにならなければいいといった感じだったのです。
原因は私にあったのですが、妹をオナペットにして毎日オナニーを繰り返していたのです。
まだ小学6年生の時から始めていたので、妹には知られることがなかったのです。
ところが一緒にお風呂入った時に、妹の体見たときに肉棒が完全勃起してしまったのです。
いつもはお風呂入る前に抜いていたのに、その日は大丈夫だと思って入ったのです。
勃起した肉棒を妹は興味津々眺めていたのに、ちょっと触っていいと言いながら肉棒を触り始めたのです。
初めて妹に肉棒を触られて、気持ちいいこと初めての経験で、妹の体に精液が飛び散ったのです。
その時、妹小学4年生、私6年生の時でした。
それから、いつもお風呂場で妹の手で肉棒を可愛がって出していたのです。
妹の生理が始まったころから母に言われ、一緒に入ることをやめるようになったのです。
でも、そのころから妹はセックスの相手は私以外いないと言っていたので、いずれ妹との関係は現実のものになることは想像できていたのです。
妹が小学6年生の時、私は中学2年生の時、二人の関係がスタートしたのです。
その頃はお風呂入った後に、妹の花園を舐めたり、私の肉棒をしごくだけでなく小さなお口でしゃぶったりたまには飲み込んだりしていたのです。
もう完全に準備ができていたのです。
今考えると、ませた二人だったと思うのです。
妹は挿入されるときちょっとだけ痛がっただけで、あとは本当に楽しくすることができたのです。
禁断の味を知ったことで二人の世界はなんだか大人びた感じになっていったのです。
両親にだけは知られないように注意していたのに、妹が中学3年生の時に母に知られてしまったのです。
その日は日曜日で何もなく、母が出かけたのでいつものように妹と抱き合って楽しんでいたのです。
夢中になっていたので、母が急に帰ったことに気付かなかったのです。
母は二階にある妹の部屋をのぞいて驚かせてみたいと思って、分からないように上ってきたのでした。
ちょうどそのときは、妹の部屋で裸になって抱き合っていたのでした。
妹の肉壺に兄の肉棒が嵌って最高のペースでピストンされていたのです。
母がドアを開けていたのも知らずに、大量の精液を妹の子宮の奥に出してしまったときに母が声を出したのです。
『留美も浩太もいつからしているの!!』本当に怖い顔で怒られたのです。
そのとき、私の肉棒は衰えることもなく、さらに大きくなったのです。
裸の息子のペニスを見て、母もびっくりしたのです。
『早く洋服着て!』と言われたのに、私は母に言ってしまったのです。
『今日は、留美と何度もすることになっているのに』と言ったとき、母は『終わったら降りてきなさい!!』と言って部屋を出て行ったのです。
留美は『知られたのだから、お兄ちゃんもう一度しよう?』と言って挿入を開始したのです。
これまでと違って、留美の声はびっくりするくらい大人の喘ぎ声を出していたのです。それは母に聞こえるように出していたのです。
怒られるのは覚悟で降りて行ったのです。
『これまでのことを全て話しなさい』と言われ、私から話したのです。
留美が小学6年生の時から関係が始まったことを話し、その前から恋人同士になっていたことも話したのです。
母は、とんでもない話を聞かされびっくりしたことは当然でしょうが、まさか自分の子供たちがこのような近親相姦を行っていることにショックを受けていたようです。
そんな二人の関係が、結婚することで壊れることはなかったのです。
今日の東京での時間は本当に最高です。
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