【不倫の奇跡】最初の女と最後の女が母娘になった運命のエロい糸
この記事の所要時間: 約 4分28秒
俺はバツイチ46歳♂、大学卒業後、24歳で同じ大学だった恋人と結婚して娘が一人いたが、2年前に離婚した。
原因は俺の浮気だった。
仕事上で知り合った有美という18歳の女性とプライベートでも付き合っていたが、ついに一線を越えてしまったのだ。
有美は中学生並みのルックスで、あまりの可愛さに誘いに乗ってしまった。
3年前、俺は43歳だったが、娘のような年の可愛い娘に好かれてしまい有頂天になった。
ラブホで脱がせたら、有美の小柄な身体は、太ってはいなかったが、ちょっとプニプニした幼児体型で、犯罪者の気分だった。
アソコも可愛いピンク色で、クンニに驚く表情は本当に子供だった。
俺はどちらかというと、細身で淑やかな色っぽい女性が好みだったが、ロリコンの気持ちが理解できた瞬間だった。
クンニにのた打ち回っていた有美のアソコにペニスを挿入した。
一瞬つっかえて「イタタっ!」有美は処女だった。
俺は、果てた後罪悪感に苛まれた。
でも、数日して、あどけなく可愛い有美の輝くような笑顔で「ホテルいこっ」といわれると断れず、妻とは週1なのに、有美とは週2,3回身体を重ねていた。
母子家庭の有美は、ファザコンだった。
これがどうしてバレたかと言うと、有美と俺の娘が小中学校のクラスメイトだったのだ。
小学校の同級会で、有美がうちの娘に、お父さんみたいな年の人と付き合っていると言って、携帯で撮ったラブホでの写真を見せて発覚した。
俺は妻と娘から一発レッドカードで家から退場させられた。
離婚されてアパート暮らしとなった俺のところに有美がやって来て、何度も「ゴメンナサイ」を連発した。
同級生の父親だとは知らなかったと泣いた。
俺は、有美の頭を撫でて、「もうここには来るな」と言った。
しかし、有美は既に母親に話しており、俺に会いたがっているという。
こっちも修羅場の匂いがして嫌だったが、18歳の娘を汚したオヤジは責任を取らねばならない。
覚悟を決めて有美の住むアパートへ行った。
驚いた。有美の母親は、今度は俺の中学の同級生の淳子だった。
「○○君?○○慎哉君?ウソでしょう。そんな…」
淳子は離婚しても性を戻さずにいた。
淳子と俺は中学卒業後、高校3年間付き合っていた。
俺と淳子は、お互い初体験の相手だった。
俺が他県の大学へ行ってしまったので別れたが、母娘の処女を奪ってしまったとは…
それから色々あったが、素直な気持ちで行こうということになり、俺は昨年の春、有美と結婚した。
当時45歳の俺の妻は、娘の同級生の20歳、義母は俺の同級生で元カノだった。
この頃には、有美はSEXが好きになっていた。
俺のネチッコい中年SEXで可愛い顔を歪めて喘ぎ、物足りないのか時々騎乗位でショートカットの髪をフワつかせながら乱れる姿は、中学生のようなロリフェイスで明るく働く昼間の有美と同一人物とは思えなかった。
実は、有美の了解の下、俺は淳子ともSEXしている。
淳子は、実は俺好みの細身で淑やかな色っぽい女性なのだ。
28年ぶりに淳子を抱いた時は、淳子は、離婚以来10年ぶりのSEXだと言って、生娘のように緊張していた。
クンニしたら10分もしないうちにイッたしまった。
淳子のアソコは綺麗だった。46歳とは思えなかった。
俺は、28年ぶりの性器の触合いを生挿入でした。
さすがに中では出さなかったが、直接淳子に触れて感じたかった。
俺は、有美には悪いが今でも淳子を思う気持ちが残っていた。
やっぱり、抱けば28年の歳月を超えて愛情が戻ってきた。
淳子に「今でも好きだよ」と囁き深く交わると「うあああー」と喘いでイッた。
高校の頃はイカす事が出来なかった俺は嬉しかった。
俺達は、3人で旅行したとき、俺と淳子が夫婦で、有美が中高生の娘と思われたので、面倒だから宿帳にはそのように記した。
そして、夜は3Pをした。
俺と淳子が交わると有美は「お願いだから中には出さないでね。慎哉さんの精子は私のものよ。」と泣きそうな顔で言った。
淳子をイカせてから有美と交わった。
有美のあられもない声に意識を覚醒させた淳子は、有美の乱れまくる性交痴態に「まあ、何てはしたない娘なんでしょう。」と手で顔を覆った。
翌日、明らかに性交の痕跡を残す布団と屑篭を見て、旅館の従業員はどう思っただろう。
今、有美は妊娠7ヶ月、暫くはSEXは淳子とだけになるが「お母さんに任せなさい。他所ではさせないわ。」と言いながら淳子は嬉しそうな顔をした。
子供が生まれたら俺は父親、同級生の淳子は祖母だ。
俺は、母の淳子が最初の女で、娘の有美が最後の女だ。
もう浮気はしない。と言うより、母娘二人を抱かねばならないから、この年では浮気の心配より精力の心配をしなければならない。俺は頑張る。
この記事へのコメントはありません。