JS6年生だった姉が履いていた黒いストッキングに性的興奮を覚えて腹痛で入院したのをチャンスに活かした最低な女装オナニー
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子供の頃と言っても、もう30年近く前の話なんですが。
1つ年上の姉がいます。
その姉が、小学校6年になると黒いストッキングを穿いて学校に通うようになりました。
肌が透ける黒いストッキングが子供心にエロいと思ってました。
日頃から「何時か姉のいない時にあれを穿いてみたい」と思っていました。
そんなある日。
夕食も終えてすぐ姉が「体調がすぐれないから風呂に入って寝る」と言って、さっさと風呂に入って部屋に行きました。
ところが、しばらくすると下に降りてきて「お腹が痛い」と訴えたんです。
かなりひどい痛みらしく、顔色もすごく悪かった。
当時、我が家で運転できるのは父1人だったのだが、ちょうど父は主張で留守。
痛がり方も半端じゃなかったので、母はこれは食中毒ではと思い救急車を呼びました。
しばらくして救急車が来て、姉はパジャマ姿のままタンカに乗せられ、救急車の中に乗せられました、
姉のことが心配だったし、1人で家に残るのも寂しかったので「俺も行く」と言ったのですが、母は「お前が行っても仕方がない、おとなしく留守番してなさい」と俺を置いて行ってしまいました。
1時間ほどした頃に母から電話が鳴り「お姉ちゃんは急性盲腸でこれから手術になる、今夜は付き添うから帰れない、ドアに鍵をかけて寝てなさい」と一方的に言って電話は切れました。
夜に1人になるのは初めてで心細かったのですが、とにかく家じゅうの窓やドアの鍵を確認し、気を紛らわせるためにテレビを見ました。
そのうち落ち着いてきて、眠気も来たので「風呂に入って寝ようか」と思い、風呂場に行きました。
脱衣場で目にした物は、姉がその日学校に穿いて行って風呂に入る直前まで穿いていた黒いストッキング。
いつもはちゃんと洗濯ネットに入れてるのに、よほど体調が悪かったのか脱いだままになってました。
家には誰もいない、「こんなチャンスはないかも」と思い、俺はズボンを下ろしてそのストッキングを穿きました。
穿くだけでパンツの中で勃起してました。
「今晩ずっと穿いていよう」
そう心に決めました。
一旦脱いで、とにかく風呂に入り寝る準備をしました。
そして、パジャマの上だけを着てストッキングを穿いて部屋に行きました。
ずっと穿いてみたかった黒いストッキング。
それが今、自分の腰から下全部を包んでいる。
パンツとストッキングに押さえつけられても痛いくらい勃起してた。
「ほんの2時間ほど前までこのストッキングを穿いていたお姉ちゃんは、今頃お腹を切られて痛い思いをしてるんだよな、盲腸ってこの辺を切るんだよな」
そう考えながら、ストッキングの脇腹の部分を触りました。
実の姉が苦しんでる時に姉をオカズにしてるなんて不謹慎だと思いましたが、それよりストッキングを穿いた興奮の方が上でした。
精通はまだなかったけど、誰に聞いたわけでもなくオナニーをしたことは何度もありました。
その時もストッキングの上から股間を刺激しました。
精液こそ出なかったけど、射精の感覚は味わえました。
果てた後は自己嫌悪になり「脱いで戻しておこう」と思い、一旦脱いで脱衣場に返しました。
ベッドに入ってしばらくすると先ほどの自己嫌悪も消えて、また穿きたくなってきました。
再度脱衣場に行き、ストッキングも持ってきて今度はパンツも脱いで穿きました。
そのままベッドに入り寝ようとしたのですが、脚が気になってなかなか眠れない。
そうやって1時間ほどモゾモゾしているうちに寝てしまいました。
遅くまでそうやっていたのと、ちょうど学校が休みだったので寝坊してしまい、電話の音で目が覚めました。
携帯や無線の子機もない時代なので、電話に出るには1階にある電話の所まで行かなければならないのだけど、ベッドから出て自分の脚を見てようやく昨夜姉のストッキングを穿いたまま寝たということに気が付きました。
「脱がなきゃ」と思いましたが、電話に早く出なければならないし、よく考えたら家には俺しかいない。
勇気を出してストッキングのまま電話があるところまで行きました。
電話の相手は母で、姉の手術は無事に終わったこと、姉の着替えとか持っていかなければならないので午後には一旦帰ること、朝食と昼食は冷蔵庫にあるものを食べてるように、と伝えてきました。
そう聞いた時「午前中一杯はこのストッキングを穿いたままでいられる」と思いました。
電話を切り自分の姿を見ると、上半身パジャマ、下半身は黒いストッキングだけ。
なんてマヌケな格好なんだと気付きました。
とにかく部屋に戻り、トレーナーを着て下はどうしようか?と思ってしばらく悩みましたが、「スカート穿いてみよう」ふとそう考えたんです。
姉は昨日スカートを穿いてこのストッキングを穿いていたはず。
それを思い出すと脱衣場に向かい、姉が昨日穿いたスカートを持って来て穿きました。
スカートだと思っていたものは実はキュロットだったのですが、それでもそれを穿いた姿を鏡に移すと自分の下半身が女の子になったみたいでした。
その姿で午前中過ごしました。
昼ごろになって「そろそろ脱がなきゃ」と思い脱ぐことにしたのですが、最後にもう一度オナニーしました。
終わるとまた自己嫌悪が襲ってきて、それをきっかけに脱いでもとにあったところに戻しました。
前の晩の9時頃に穿いて次の日の12時頃に脱いだのだから、15時間もストッキングを穿き続けていたわけです。
姉が前の日に穿いたのは朝学校に行く前の7時頃で、脱いだのは夕食後に風呂に入った時だから夜の7時前、姉より長い時間穿き続けたことになります。
俺の妹も小学校5年でストッキングを履きました、今は小学生のタイツは時々見ますがストッキングなんてまず履きません、でも昔はそれほどレアなことでもなかったんですよ。
毎日黒いストッキングを穿いて登校する妹を見ながら「なんていやらしいんだろう」と思ってましたが、「妹に興奮するなんて人間失格だ」と自分自身を戒めてました。
でも日に日に我慢できなくなり「俺はストッキングを履いてみたいだけだ、妹に興奮してるんじゃない」と自分で屁理屈を付けて履く決意をしました。
洗濯物の中からこっそり取出し部屋に持ってきました、脱いでしまったいわゆる抜け殻なんですが、その抜け殻となったストッキングを見ただけで俺の理性は一瞬でぶっ飛びました。
下半身はパンツまで脱いで早速脚を入れました、初めてで履き方もわからなかったですがなんとか伝線させずに履けました、仮性包茎のチンコはものすごい勃起で完全に剥け、敏感な亀頭がストッキングでこすれて気持ちいいことこの上ない。
「もう駄目だ」とばかりにストッキングの上からチンコをさすりました、中2で精通があったので一瞬で射精し黒いストッキングはヌルヌルになりました。
いつもしてたオナニーの何倍もの気持ちよさで、思わず「あぁぁ~~~」と声を出した記憶があります。
俺も射精後の嫌悪感はありましたし、精通してたのでストッキングは汚れて「このままだと妹や母にばれる」と言う恐怖もありました、ティッシュで拭っても痕が残ったので濡れたタオルで拭きなんとか証拠は消しました。
その時は「もう絶対しない」と誓ったのですが、「のど元過ぎれば」で次の日また脱いであるストッキングを見たら「あの気持ちよさをもう一回」と手を出しました。
こうして俺は、その後も妹のストッキングで数えきれないほどオナニーしました、履くだけじゃなく匂いまで嗅ぐようになり、伝線ストッキングを発見した時なんかは、ストッキングの至る所に射精しまくりました。
今は俺も大人になり結婚もしています、今まで付き合った女性や妻とは幾度となくセックスもしてますが、妹のストッキングでオナニーした時ほどの気持ちよさは味わえてません。