母親のことをママと呼んでいた少年時代にオネショをしてお尻を叩く約束を実行されていた躾の思い出
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20年ほども昔のことだ。
当時、小学生だった僕には、絶対に誰にも知られてはいけない秘密があった。
1つは、6年生になっても家に帰れば母親のことを「ママ」と呼んでいたこと。
友達の前では、もちろん「うちの親は~」と濁していた。
そしてもう1つ、最初の秘密に関連しなくもない大きな秘密は・・・
6年生だというのに、週2度のペースでオネショをしてしまうこと。
平日の朝だとあまり時間もないので、さっと着替えて学校まで逃げられるのだが、休みの日ならば話は別だ。
怒りの母が、ベランダに布団を干して戻ってくるまで、僕は1階の和室で待っていなければならない。
「今日という今日は覚悟しておきなさいよ」
反省の時間はたっぷりあるから、と母。
オネショをしたらお尻を叩くと約束させられていたので、平日うまく学校へ逃げたとしても、帰宅すれば同じように叱られていたのだが、
上半身はTシャツなどの普段着、下半身は何も身に着けていないスタイルが多かった。
どうせ、母に脱がされてしまうからである。
素肌に平手、と言えばいかにもな「お尻ぺんぺん」的なことを想像するだろうが、
なにせ6年生なもので、僕が簡単には懲りないことも母は知っていた。
僕を太モモに横たわらせて説教をしながら、合い間にパァン、パァンとお尻を叩く。
学校の先生ならもうこれで終わりだろう。
しかし、母は違った。
「下半身に喝を入れる」というよくわからない主張をかかげ、
お尻が痛いのを通りこして、痛いのかどうなのかよくわからなくなるまで叩くと、長くて小一時間ほど続く日もあった。
この恥ずかしい罰を早く許してもらおうと、
昔から「ごめんなさい、ママ」と言い続けてきたせいで、
普段の呼び方も「ママ」と呼ぶのが定着してしまったのだ。
お尻の感覚がなくなり、これ以上叩いても無駄だと判断されると、ようやく許してもらえる。
「今度やったら承知しないわよ」と何度言われたかはわからないが、
中2の秋までそんな躾に付き合ってくれた母の苦労を考えると、手のかかる子供だったと今にして思う。
「頑張った甲斐があったじゃない」と笑う母の手のひらが、何だか懐かしく思える気持ちも、決して嘘ではないのだが。
母さん、有難う御座いました。
それただの
虐待だから
大体オネショなんて
無意識のうちに起きる不可抗力だし
しなくなる年齢なんて個人差がある
この国の親って成長の遅れを気にしすぎなんだよね
その前にどうエロいの?