年増女に性の手ほどきを受ける郷里の風習
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僕は帰省した、しかし両親は既に他界し実家も処分し帰るところはない。
僕が泊まったのは和子という熟年女性の家だ。
ご主人を早くに亡くし還暦を迎えるまで独身を通し、時々都会に住む僕のアパートを訪れ掃除など、38歳になるまで今だ独身の僕の身の回りの世話をして帰っていく。
僕にとって母のような存在なのだろうか。
帰省した僕をご馳走を作って迎え、家族のような団欒を過ごし、お決まりのように全裸になり抱き合い愛し合う。
歳をとりヘチマやなすびのように垂れた乳房を揉み愛撫を続ける。
還暦女の乳房になぜ・・・と思われるだろうが、彼女の乳房は垂れたとは言え90センチ以上の巨乳で、反射的に僕のペニスは勃起してしまう。
彼女は朝丘雪路のようにお婆さんになっても男を勃起させる女性なのだ。
僕と彼女の馴れ初めは古い、僕が彼女と愛欲の関係になったのは僕の生まれた郷里の風習によるものだ。
この地に生まれた男は18歳になるまでに童貞を卒業させられる。
初体験の相手は地元の女性達で世話をする。
普通、年頃の娘は親が許さないのでまずない。
ほとんどが男に飢えた未亡人か離婚した年増女だ。
そして、そのまま若い男の性教育を担当し、肉体関係を続ける。
僕も和子に性教育を施され、男にしてもらった。
僕がはっきりと性に目覚めたのは、小学校5年生の頃に小川に水遊びに行ったとき。
同級生の女の子と全裸になり川の中に飛び込もうとすると、彼女の乳房に膨らみがあった。
それを見た僕は勃起してしまった。
彼女も勃起したペニスに驚いていた。
中学に入ると思春期を迎え、毎日のようにオナニーを繰り返す。
田舎なので家では憚られたが、林や森の中でズボンを下ろしシコシコしていた。
オカズには困ることがなかった。
青姦するカップルや夫婦、オナニーをする女がいたので覗きながら扱いていた。
今まで近所のおばさんという意識でいた女性も、女の裸体を見せ付けられるとオカズに変わり女として見るようになる。
時には性欲を制御しきれず、60過ぎのおばさんの乳房を見て興奮しオナニーした。
15歳になると、敏子という自治会の役員をしている主婦に呼ばれた。
それも地元の秘湯に連れて行かれ、二人全裸になり僕の身体検査をすることになった。
敏子は僕を立たせペニスを扱いまわし、生殖機能に異常がないか確かめた。
そしてペニスを銜えてフェラチオを繰り返した。
勃起したペニスが彼女の口の中に広がり、敏子の膣を求め欲しくなった。
敏子はペニスを膣の中に挿入し「検査の結果、予定通り大人になる儀式をするから・・・」
少年たちの性器に異常がないか確認するのが自治会役員の女性の裏の役目で、その代わり少年たちとSEXできる特権が与えられていた。
事実上の筆下ろしは彼女がするのだ。
敏子の乳房を揉み愛撫する僕は、このとき初めて女の肌に触った。
敏子は騎乗位で僕をイカせてくれた。
それから程なく、僕は葬儀に参列した。
和子の亭主が亡くなったのだ。
亭主は長らく入院していたのでSEXはご無沙汰。
彼女は地元で一番の巨乳を持て余し、オナニーにふける毎日だった。
そんな彼女のオナニー姿を覗きながら、僕はオナニーを愉しんでいた。
顔は美人ではないが、エロい肉体に僕は虜にされたのだ。
敏子から連絡があった、僕の初体験の相手は和子に決まった。
それから僕は彼女の家に赴き、全裸になり彼女に身を任せ、和子と長時間SEXを続けた。
僕は彼女から多くのことを学んだ。
いつしか離れられない関係になっていった。
明治大正昭和初期の話しか?聞いたことないわ、まして平成のこの時代に
妄想小説の部屋にでも名前変えたら?
年増女は上手ですから♪
母性をフルに魅せつけるのに快楽があるのでしょう。
いいなーーーーー、本当にそんな風習が有るだったら、自分も、そんな初体験セックスをしてもらいたいね❤️❗️。46歳にもなっても、初体験セックスをしていないからね❓️❗️。本当にすごくうらやましい風習だよね❤️❗️。そんな風習がいつまでも残ってもらいたいね❗️♥❓️。
そんな風習ねーよ。あったとして、どんだけクソ田舎なんだよ。