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出稼ぎに行っている主人に代わり義父が嫁を抱く淫らな風習がある田舎の話

この記事の所要時間: 644

私が主人の田舎に嫁ぎ、初めての冬に主人以外の男性に抱かれたのは主人の父でした。

田舎の冬は仕事も無く、若い者はすべて出稼ぎに行くのです。

主人も出稼ぎに行く前の夜まで、私を凄く愛してくれました。

「いいか、俺が帰ってくるまで親父の言うことをちゃんと聞くんだぞ。」

と言って出て行ったのですが、何のことか分かりませんでした。

 

そして1週間くらい経ったころ、主人の父が私の寝ている部屋にやってきて、無理やり裸にされ犯されてしまったのです。

私が必死に抵抗する姿を見て、「なんだ、隆弘の奴は何も言ってなかったのか。」と言われ、私は悟りました。

主人が出稼ぎに行っている冬、嫁は義母公認でその家の大黒柱である主人の父の女になる風習があるのです。

もし、その家に義父の父が(義祖父)いたら、その義祖父の女に。

 

私は事情が分かると抵抗をやめ、義父のなすがまま義父のペニスを受け入れていました。

そして、最初の夜から義父の精液を子宮で受け止めてしまったのです。

村の嫁の中には、避妊をせずに義父や義祖父の子供を宿してしまった嫁もいますが、それはそれで大切に育てられるのです。

そして2回目からは義父の寝室で抱かれ、当然義母が私が義父の抱かれている様を見ているんです。

しかし、それが慣れてくると刺激になってより一層義父とのセックスが興奮するんです。

 

秋は村の出産ラッシュでした。

出稼ぎ前に主人の子種を儲けている嫁もいれば、主人が出稼ぎに行っている間に主人の父親もしくは祖父の子を身篭る嫁もいるんです。

例外なく私もその一人でした。

春、自分が身篭っていると知ると出稼ぎから帰ってきた主人にどう話せばいいかわかりませんでした。

しかし、悪阻が激しく言うまでも無く主人には知れてしまい、最初主人は複雑な顔をしていましたが、「よかったな、俺達の子供だ。」と喜んでくれました。

義父も義母も大変喜んでくれ、「豊子さん、でかしたぞ。」と、その夜は一晩中大騒ぎでした。

 

しかし、いい話ばかりではなく、嫁の中には夫が帰ってきても夫より義父と交わるほうがいいと、夫に隠れて畑の小屋や山小屋で密会する嫁もいるのです。

もし、それが見つかれば嫁と夫の父親は村から追放され、二度と村に帰って来れないばかりか、その家は村八分にされるのです。

私の2歳年上で仲のよかった百合子さんがそうでした。

 

彼女は、最初の冬こそ夫が出稼ぎに行って夫の父親の女にされたことを悩んでいましたが、3年間夫が家にいるにもかかわらず山小屋や町に出た際交わり二人の子供を宿し産んだのです。

当時の村には避妊薬と言う物も無く、避妊はサック(今で言うコンドーム)か膣外射精、もしくは排卵日以外の性行為しかなく、何処まで避妊できるか分からない状態でした。

しかし、妻公認、村公認の息子が出稼ぎに行っている間の父親にはそんなこと関係なく、息子の嫁を自由にできる時期ともなれば、あの手この手を使って嫁を抱き孕ませることだけを考えるのです。

そんな中、主人の父はとてもいい方で2年目の冬からは安全日以外はサックを使ってくださり、初めての子供はどちらの(主人か義父)子か分かりませんでしたが、二人目からは主人の子と確信して産みました。

 

私が主人の家に嫁いだのは22歳のとき、父の友人からの紹介のお見合いでした。

恥ずかしい話し、そのときの私はまだ男性を知らず主人が初めての人でした。

お見合いから1ヶ月の22歳の春に結婚をし、秋の終わりごろ主人が出稼ぎに行くまで毎晩主人は私を抱いてくれました。

私が住んでいた集落でも、戦争で主人を亡くした未亡人や主人が出稼ぎに行ったきり帰ってこない未亡人の家を、村の若者が夜這いで性欲を発散するということがあり、主人もその一人でした。

まだ若かった主人は、自分が満足するため私を性の捌け口のように攻め立て、私の感情など二の次でした。

しかし、月日が経つにつれ主人は私を愛してくれるようになりました。

 

同じ村でも山を隔てれば風習も違い、主人が出稼ぎに行っている間、その家の主人に嫁いだ嫁が抱かれるなんて初耳でした。

主人が出稼ぎに行く前の晩、「俺がいない間は親父の言うことをちゃんと聞くんだぞ。」と言って、涙を流しながら抱いたのを今でも覚えています。

そして1週間後、義父が私の寝室へ入ってきて私を抱いたとき、そんなことを知らなかった私は大きな声を出し激しく抵抗してしまったのです。

「なんだ、息子からは何も聞かされていないのか。」と言う、義父の言葉にすべてを悟り、それからは義父に体を任せてしまいました。

 

それから1週間後、夕食が終わり私が後片づけをしていると、義父が義母の目の前で「今晩、風呂に入ったら私の部屋に来なさい。」と言われたのです。

それが何を意味することなのか、私は瞬時に悟りました。

それからは、お風呂で体の隅々まできれいに洗い義父の部屋へ行ったのです。

 

「お義父さん、豊子です。」と、襖の前で声をかけると、「入りなさい。」と義父の声がしました。

今夜から私の体は義父の物、と覚悟を決め義父の部屋の襖をあけました。

部屋には義父一人だけがいると思っていたのですが、布団が2枚敷かれ義父の布団の上で義父が胡坐を組んで座り義母が義父の股へ顔を突っ込むように一物を咥えていたのです。

私はそんな光景に見入っていました。

 

「どうした。入りなさい。」

ハッと思って部屋に入ると、義母が義父の一物を咥えながら私のほうを見ているのです。

「有香(義母)、もういいぞ。自分の布団で寝なさい。」と、義父に言われた義母は私の顔を見ながら自分の布団に入っていきました。

私は義父の布団の横で正座すると、義父に向かって深々と頭を下げました。

そのときになって気付いたのですが、義父の布団には枕が二つあり、私用に用意されていたのです。

 

「先日はすまなかったな。和彦(主人)が行く前にちゃんと話しているものと思っていたものだから。

ここらのしきたりでな、出稼ぎに行った息子の嫁は息子が帰ってくるまでその家の主人の物になると決まっているんだ。

有香も私が出稼ぎに行っているときに、当時私の爺さんもいたから最初は爺さんと情を深め、爺さんが亡くなってからは私の親父とも情を深めたんだ。

和彦は、生まれた日から見ると有香と爺さんの間に出来た子供となる。

爺さんも当時は元気だったらからな。でも、和彦は私の子供と思って育ててきた。

おかげでこんなきれいな豊子を嫁に貰って、私は豊子を抱けるんだからな。今夜が初日と思ってよろしく頼むな。」

 

義父は、私の手を握りながら言っていました。

私が深々と頭を下げると、義父は私の手を引いて布団の中へと招いてくれました。

そして、私は義父の布団に寝かされ、義父の手によって裸にされ義父の物になっていったのです。

 

週に2回は義父から誘いがあり、その都度翌朝まで義父の部屋で義父の抱かれながら過ごしました。

主人のがつがつした行為と違い、義父はゆっくりと私を抱いてくださり、それでも腰を振るときは激しく私を何度も天国へ連れて行ってくださいました。

時には義母を含めて3人で絡んだこともあり、義母とキスをしながら義父に攻め立てられたり、義父と繋がっているときに義母にお尻の穴を舐められたこともありました。

 

主人が出稼ぎに行っている19年、私は義父と交わり4人の子供を身篭り産みました。

しかし、初めての子供は主人の子か義父の子か分かりませんが、二人目からは主人の子と確信して産みました。

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