恋人とセックスするだけじゃ分からないお互いの本当の気持ち
この記事の所要時間: 約 6分46秒
処女援交や若いときのヤリマン(と言っても5人と各数回ずつの可愛いヤリマンだが・・・)、
前の彼の話まで曝け出した里美は、お試し期間内も明け透けに素の自分でいました。
私がムードの欠片も無く、「エッチしたい。」と言っても、
「うん!しよっ!しよっ!」と私の腕を掴んでぴょんぴょん跳ねました。
普通の仕草がとても可愛いくて、高校生?中学生?下手すりゃ小学生並みの体格で、
23歳の社会人だから化粧をしていますが、風呂上りのスッピンの里美は体は小学生で顔は中学生のようでした。
化粧をしてやっと18、19歳に見えるのでした。
でも、抱けば23歳の大人の女性で、小さな体全体で性の悦びを表現するあたりは人妻並みでした。
それは、普段アイドル顔の女の子が羽目を外してエッチに乱れるのではなく、只ただ素直なのです。
気持ちいいから素直に喘ぐだけなのでした。
前の彼氏は、幼く可愛い見た目とのギャップに耐えられなかったのでしょうが、俺は逆に好感が持てました。
普段の生活も実に素直で、嫌な事は嫌とはっきり言うし、「ごめんなさい」が自然に言える女の子でした。
特に私服の時の見た目がまるっきり子供なので、いじらしく感じるのでした。
それが裸になれば小学生並みのロリ体型で、恥しげも無く股間を開き、俺にクンニをせがみ、中学生顔で喘ぐのですから堪りません。
私は素直で可愛い里美に、1ヵ月後、
「一緒に暮らしたい。」
と一言手紙に記して、お試し期間を終えました。
部屋に帰って披いた里美の手紙も一言でした。
「お嫁さんにして欲しい。」
交際1ヶ月で事実上婚約、その半年後、27歳の私は24歳の里美と結婚しました。
披露宴ではメイクさんの技術とヒールの高い靴で、何とか成人の女性に見せることができましたが、二次会ではそうもいかず、
「ロリコン!少女買春!児童虐待!」
と揶揄されました。
職場では、有希子が哀しそうな目で、
「おめでとうございます・・・」
と一言だけ言いました。
有希子が、私に面と向かって口を開いたのは1年ぶりくらいでした。
憎らしいほど美しい有希子の憂いに満ちた表情が何を物語っていたのか、このときは知りませんでした。
ママゴトのような新婚生活は、当然毎日夫婦の営みがありました。
休日は朝昼夜の3回コースでした。
夫婦でよく旅行に出かけました。
小柄な里美はティーン向けのサイズが難なく着れたし、よく似合いました。
どう見ても14~15歳の少女が、20代後半の男と二人で旅館に泊まれば好奇の目で見られました。
家族露天風呂では覗かれているのを承知で乳繰り合い、夜は可愛い声で官能の叫びを旅館中に響かせれば、翌朝の視線は痛いほど刺さりました。
里美との結婚生活はとても快適でした。
幼いのは見た目だけで、中身は大人だから当たり前だが家事もちゃんとできました。
可愛い里美の小さな体を弄くり回す幸せな生活がずっと続くと思っていました。
里美と結婚して3年が過ぎました。
私も30歳になり、里美は27歳でしたがやっぱり10代に見えました。
私達には倦怠期がなかなか訪れず、3年たってもほぼ毎日夫婦の営みがありました。
夜はセックスしてから寝るのが習慣になっていました。
減ったのは休日の昼くらいで、休日朝は目覚めのセックス、夜は習慣セックスになっていました。
里美は、いつも小学生の女の子用の愛いパジャマを着ていました。
小さいから着れるのですが、脱がすとリアルな未発達ローティーン体型で危険度満点でした。
私は決してロリコンではありませんでしたが、ロリコンの気持ちが理解できました。
里美のアソコは、さすがに毎日使い込んでいたので、茶色に色付いたビラがめくれてきました。
それでもなお、小さくて可愛い溝に舌を這わせて溢れる蜜を堪能していました。
夫婦水入らずで3年間セックス三昧を過ごした私達は、そろそろ子供を作ろうと、それまでは安全日だけだった中出しセックスを毎日しました。
中出しセックスは夫婦どちらもとても気持ちがいいものでした。
中出しセックスを始めて半年しても妊娠しませんでした。
そこで、排卵日近くは毎日のセックスを我慢して、排卵日を狙って濃い精液を里美の子宮に蒔きました。
それでも、半年してもその作戦は功を奏しませんでした。
私は里美に内緒で病院に行って精液を調べましたが、異常はありませんでした・・・
里美も私に隠れて病院に行ったようでした。
里美は妊娠が出来ない体で、しかもそれは先天的なものではありませんでした。
里美は泣きながら私に謝り続けました。
「ごめんなさい。あなたに嘘を言ってた。
私は中学生に成りすましてオジサンに処女を売ったのは事実だけれども、その後もオジサンに1回2万円で玩具にされてたの。
処女喪失後1回は生理があったんだけど、2ヶ月間生理がこなくて・・・私、オジサンの子供を妊娠してた。
中絶する時私が20歳だってバレて、オジサンとは切れたの。その時の中絶がいけなかったんだ・・・」
里美は黙って離婚届を差し出しました。
「子供が産めないことは、立派な離婚理由になるから・・・」
私は里美と離れたくありませんでした。
でも、
「あなたを見てると辛くて・・・一緒にいるのが辛いから・・・」
そう言われて諦めがつきました。
私がいることで里美が辛い思いをするのでは仕方がありませんでした。
「別れてどうする?一人で生きていけるのか?」
「実家に帰る。母に話したら帰って来なさいって。元々短大に入るために出てきたのに、街が楽しくて居着いちゃったから。」
里美の両親には、結婚の挨拶の時と結婚式の2回しか会っていませんでした。
里美が実家に帰りたがらなかったのは、どうやら中絶の過去を隠すためだったフシがあったようでした。
里美が父親と折り合いが悪かったのは、中絶のせいだったのかもしれません。
里美は泣きながら荷造りしていました。
「ごめんね、本当にごめんね・・・明日、出て行きます。離婚届、ちゃんと出してね。」
夫婦最後の夜、里美の体の隅々まで記憶にとどめました。
もう二度と味わえない蜜を鼻まで濡らして啜りました。
可愛い里美の茶色のビラを脳裏に焼き付けました。
夫婦の慣れ親しんだ性器が最後の合体を果たしました。
このまま溶解して一つになれば、別れなくても済むのではと思うくらいきつく抱き合いました。
妻としての里美を抱くのが最後になると思うと、射精出来ませんでした。
射精した瞬間に夫婦が終わるような気がしました。
でも、中に欲しがった里美の最後の願いを叶えてあげました。
翌日、里美に見送られて仕事に出かけました。
「鍵は、郵便受けに入れておくね。さよなら。」
「元気でな。憎みあって別れたわけじゃないんだ。困ったことがあったら、いつでも相談しろよ。」
昼休み、市役所の窓口へ離婚届を提出しました。
午後から社内の手続きをしながら、みんな、離婚理由をどう想像するかななんて考えていました。
アパートへ帰っても誰もいませんでした。
テーブルの上に「幸せな4年半をありがとう。」と書かれた置手紙がありました。
手紙には涙の跡が2箇所・・・そこにもう2箇所、増えました・・・
31歳で、また一人になりました。
とてもいい話でした。みんな幸せになって心からよかったと思いました。
いいお話でなんだか温かい気持ちになりました。