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夜伽がセットだったバブル全盛期の東南アジアでの最高に淫靡な接待

この記事の所要時間: 329

バブル全盛期当時、私は商社マンとして東南アジアに単身赴任してましたが、当時の東南アジアは正に男の楽園で、私も散々遊びました。

ある日、北部山岳地方に出張した際、馴染みの店に立ち寄ると、母親が二人の娘を売りに来ている時に丁度出くわしました。

娘は1○才と○2才で共に生娘でした。

早速、店の女将に頼み、この二人の生娘を買いました。

一週間滞在し、昼夜を問わず腰が抜けるほどやりたくりました。

全て中だしで、然も母親の見ている前で二人の娘を一人前の女にしてやりました。

幼い子の締まりは最高で、生娘の痛がる様子を見ながらするピストンは格別でした。

ついでに、母親も娘たちの見ている前でいただきました。

当時は、金さえ払えば何でも出来ました。

 

ある時、店の女将に「ロリも飽きた、若い娘でも犯したい…」と話していたら、数日後に電話があり、今から直ぐ来いとのこと。

早速店に行くと、離れの部屋に通されました。

そこには、17~18才の可愛い娘が、後ろ手に縛られ、口には猿ぐつわをされて横たわっていました。

女将の話では、身売りではなく誘拐してきた娘で、何をしても構わないとのこと。

早速、この娘を強姦しました。

嫌がる娘を無理やり犯すことの気持ちのいいこと。

泣いて頼むのも無視して挿入し、痛さに顔を歪めるのを見ながらピストンして、娘の体の中へ射精する時の快感、正に最高の気分でした。

そして、三日三晩、精液が尽きるまで犯し続けました。

その後、聞いた話では、この娘は他の店に売られていったようで、然もお腹には誰の子わからない子を身ごもっていたとのこと。

 

あの頃のことは、今でも忘れられません。

現地妻などは不用で、毎晩、相手を変えて可愛い子が抱けました。

現地ではよく接待がありましたが、接待後のアフターケアー(夜伽)は必ずあるのが当たり前で、事前に希望を言っておけば、やりたい放題のことができました。

接待場所は、大抵はショー付きのクラブが多く、その内容は凄かった。

店のママは正装姿で接客するが、それ以外の女の子は何も着ていないし、その内容もノーパンしゃぶしゃぶ以上であった。

両脇に女の子が座るが、その姿は一糸も纏わぬ生まれたままの姿である。

 

料理は、手を使わなくていいように食べさしてくれる。

女の子が箸で掴んで口まで持ってきてくれるし、飲物は口移しで飲ませてくれる。

更に二人の女の子がテーブルの下に潜り、息子の接待をしてくれる。

勿論、胸やあそこはさわり放題で何でもやれた。

バナナやソーセージなどは、下の口で料理をして食べさせてくれた。

 

見ているショーも、京都や東京の「まな板ショー」「白黒ショー」の比ではない。

本番そのもので、演技でなく男女の営みそのものであった。

他人のセックスを目の前で見るのは興奮するもので、女のイキ顔や腹から出る喘ぎ声を聞いていると、大きくなった息子は我慢できず発射してしまう。

それをテーブルの下の女の子はゴックンしてくれた。

人のセックスを見学しながら食事するのも格別である。

 

途中、トイレに立とうとすると、ママが「オシッコの後はお好きなように…」と二人の女の子を付けてくれた。

トイレに行っても自分の手はいらず、女の子が非常口から息子を出してくれて、二人の女の子が見てる前で用が足せた。

その後は、おチンチンから出るもう一つの液体(白い液)を好みの女の子の下の口に出してから席に戻った。

そして、宴も終わりなると、席の前に女の子が10人ほど並び、好きな子を選べと言う。

一人でなく、何人でもよいとのこと。

ママに好きな子の名前を告げ、暫くしてホテルの部屋に戻ると、そこには、ママに告げた女の子が待っていた。

 

このような接待は週に2~3回ほどあり、精の溜まることはなかった。

あの頃の接待はたまりません…

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