痴漢から助けてくれた男性に恋した私立の女子校生の悪夢
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家に帰ってからも、母の顔は見ずに、声も聞こえないようにしながら、部屋に籠っていました。
その晩、彼から何度か電話が鳴りましたが、取らないでいると、そのまま私は寝てしまいました。
翌朝、家にはいたくなかった私は朝から家を出てフラフラとしていましたが、お昼前には彼の家にいました。
お昼をごちそうになり、ベッドで抱かれていると、自然と泣いてしまいました。
号泣と言ってもいいくらいで、涙が止まりませんでした。
すると、彼から『もう俺らも終わるか?』と聞かれてしまい、私は思わず彼に抱きついて頭を横に振っていました。
彼に頭を撫でられながら、毛布を体に掛けられて、彼は優しく包むように抱きしめてくれました。
そして、母との事を語り始めたのです。
やはり母とは、私が一緒に電車に乗った時に母に痴漢をしたそうです。
スカートのチャックを下して、そこから手を入れると、母は抵抗もせずに、それどころか靴下タイプのストッキングを履いていて、体勢も彼が触りやすいようにして、すんなりとショーツの中に指を入れることが出来たそうです。
母は彼が触り始めるとすぐにイってしまったそうで、彼はすぐに手を母から離して、小さなスペースで手帳を破って、連絡先を書いた小さなメモを母に手渡ししたそうです。
その日の夕方に母から連絡が入り、その晩に疼いていた母はコンビニの駐車場で彼を求めてしまって、そこから関係が始まったそうです。
父とは全くそういった事がないと彼に話しているらしく、母は私よりも貪欲に彼を求めていたとの事です。
父や私が家を出た後に、彼を家に招いて、夕方まで求められたこともあると彼は話しました。
彼は最後に『ここまで話しても、俺と続けていきたい?』と聞いてきました。
私は『考えとく』と少し冷たく言うと、彼に押し倒されてしまいました。
全身を愛撫されている時に、それまでの中で一番気持ち良く感じました。
入れている時に何度もいかされてしまい、私が離れずに彼は私の中で果てました。
私がぐったりしていると、彼は私にショーツを履かせて、上半身を持ち上げました。
私の体内から彼の液体がショーツに流れ落ちていき、少しお股が冷たくなりました。
シャワーも浴びずに家の近くのコンビニまで送ってもらいました。
それから週末を彼の家で過ごすことが増えました。
母は土曜日の午前中からお昼過ぎまで彼の家にいたので、私は夕方から彼に相手をしてもらっていました。
母は家族には習い事と言っていました。父は何も疑っていませんでした。
春ごろには、彼が私の地元に引っ越してきました。
母は理由を付けて、彼の引っ越しを手伝いに行っていて、私の出る幕はありませんでした。
その頃、私は彼から離れなければいけないと思い始めていましたが、なかなか離れられないでいました。
電車も時間を変えようと思いましたが、習慣なのか、同じ時間の同じ場所にいました。
週末も彼の家へと足が自然と向いていました。
母の様子も常に少し浮かれているような感じになってきていて、母が壊れかけていると思いました。
そして、夏休みの事でした。
彼に電話で呼び出されて、家に行ってみると、母が彼のベッドの上で足を自分で広げて、何か薬物でもやっているかのようにうわ言を言いながら、目は目隠しをされて、耳には大きなヘッドホンさせられて寝ていました。
体は全身が痙攣していて、汗が噴き出ているという表現が正しいと思います。
彼は平然と『お母さん、壊れちゃった』と私に言いましたが、深刻な顔をしているわけではなく、むしろ、楽しんでいるような印象でした。
ベッドの上や周りには、おもちゃが何個か落ちていました。
私は母の姿を無言でベッドに傍に立って見てから、彼をにらむように見ました。
『そんな怖い顔するなって・・』と言いながら、私の服に手を掛けて、全て脱がしました。
『呼び出されただけで、濡れてるのは、誰だ?』と言いながら、彼は私に指を入れてきました。
たしかに、私の体は反応して、濡れていました・・
彼は私に指を入れたままベッドに座ると、母の内股に指を軽くなぞるようにしていました。
母はその指の動きに声を上げ、体をくねらせて反応していました。私には気づいていない様子でした。
私は母の事を呆然と見ていました。自分に感情がなくなったかのように、彼の指が私の中に入っている事なんか、どうでも良くなりました。
母は、バイブを手にすると、自分で宛がい沈めていきました。
ほとんど発狂している母は手で彼を探し始めました。
『お口にちょうだい・・』と何度も言いながら、ベッドの周りに手をやっているのでした。
彼は私を連れて、母の顔の近くまで移動すると、母は手で彼のを握り、そのまま頭を動かしました。
私は間近で母がモノを咥えている姿を見ていて、『母親』ではないような気がしてしまいました。
母が付けていたアイマスクが少しずつずれていって、それでも母は私に気づいていませんでした。
彼のを咥えるのに必死なのです。ヘッドフォンが外れても、母は私に気づいていませんでした。
娘に気づかないとはいえ、目の前で、母が彼におねだりをしている姿は見たくありませんでした。
彼は私をベッドの横に立たせると、母の中に埋めていきました。
そして、母に私の方を見させたのです。
母は『あれ?ちーちゃんがいる・・』と言いながら、笑みを浮かべたのです。
『ちーちゃん、ごめんね。私、離れられないの・・』と笑いながら言うのです。
表情は完全に壊れた人間のようでした。
母の体の痙攣は酷くなっていきました。私は怖いのと、怒りとで体が震えてしまうほどでした。
やっとの思いで、服を持って、寝室から出て、トイレに入ると、私は体中の力が抜けてしまい、座り込むと涙が出てきました。
どれくらい時間が経ったか分かりませんが、彼がトイレのカギをうまく開けて、私を寝室へと連れだしました。
母はベッドで大の字で横になり、私が生まれてきたところからは、彼の白い液体が流れ出ていました。
『お母さんが憎いか?』と後に立っていた彼に耳元で聞かれました。私は頷きました。
『もっと壊していいんだよ。』と彼が私に言いました。
私はベッドに上がり、母を叩きました。
母からはあまり反応がなく、それにさらにむかつき、私は乱暴な言葉を使いながら、再び殴打していました。
母は気を失っていたようで、人形のように目をつぶったままでした。
私は彼に止められると、そのまま母の横で母に見せつけるようにSEXをしました。
母の横で私は体の中に彼を受け止めていました。
その晩、母は帰ってきませんでした。
父には、言付けがあったからというと、何も父は言いませんでした。
母が帰ってきたのは朝方でしたが、私は音は聞いていたのですが、母の表情までは見れていませんでした。
両親の寝室に入った音が聞こえたのを最後に私もまた眠ってしまいました。
朝起きると、父はすでに会社に出た後でした。
母は起きておらず、私が弟の分の朝食も作りました。
お昼頃、母が起きてきたのですが、体を動かすのがやっとみたいな感じでした。
ソファに横になり、テレビを見ていた母に嫌気がさした私は自分の部屋に行きました。
夕方、母が買い物に出掛けてしまうと、部屋の中で落ち着かずにいました。
父も帰ってきて、一緒に夕飯を食べ終わると、父は私を部屋に戻させてから、母と話し合っていました。
私は弟も一緒に自分の部屋に連れて行くと、しばらくしてから、母の泣いている声が聞こえてきました。
部屋に音楽を付けて、母の泣く声を弟に聞こえないようにしました。
母が外に出ていく音が聞こえると、私も弟もリビングに行きました。
父は珍しくお酒を飲んで、テレビを見ていました。
しばらくしてから、私の携帯が鳴ると母からでした。
コンビニまで来てほしいと言われて、行くと、彼も一緒でした。
私たちは初めて会った感じの挨拶を交わした後、彼が困ったように、私に『お母さんが俺のところに泊まりたいって言うんだ・・』と言いました。
母は私たちの事は知らなかったのですが、彼に『誰か話せる人に連絡をして、一緒に帰りなよ』と言われて、私に連絡をしてきたそうです。
強引に連れ帰ろうとしましたが、母は彼の腕を掴んで離そうとしませんでした。私から見ても、母は少し狂気な感じでした。
困った彼は私に耳打ちし、『少しドライブでも連れていったら良いかな?』と言うと、車に乗り込みました。
その姿を見て、母は躊躇なく助手席に座り、私も仕方なく後ろに乗りました。
車の中で母を二人で説得していましたが、母は頑としていて、しばらくしてから、私たちは無言になりました。
父から私に連絡が入りましたが、そんな状態では出るに出られずにいました。3人とも疲れていました。
数時間後、夜が明けそうになったときに、母はやっと納得し、彼に家の前まで送ってもらいました。
しかし、その日から家の中には暗い空気が漂っていました。
基本的に会話は何も知らない弟が中心になっていましたが、特に話題もなく、家族という形を取り繕っていました。
母が週末出掛けることは父も何も言わなくなっていました。
私は彼と会うのは、平日の門限までの短時間になりました。
彼は母の事を『家政婦』と私に言っていました。
平日の昼間や週末に母が掃除した部屋で、そして、同じベッドで彼に抱かれるのです。
そんな無毛な高校時代を過ごしてしまった私は、大学進学を機に家を出ました。
父とは連絡を取り合いましたが、母とは一切連絡を取りませんでした。
大学に進学して、すぐに彼氏が出来ましたが、SEXはとても私が満足するものではなく、私は夏休みに帰省すると、彼の家に自然と足が向いていました。
彼に一晩抱かれて、満足し、母の様子を聞きました。
母は完全に壊れていて、彼は割り切っていると言っていました。
それからしばらく経って、母の写真がネットに流出しました。
複数の男性に弄ばれて、喜んでいる写真でした。
その男性の中には、彼の姿はありませんでした。
彼はすでに母を見限り、母を他人に物のように譲渡したのです。
私たち親子と彼との関係もそれによって終わりました。
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